小出義雄さんは陸上女子長距離の指導者です。
4月24日、80歳で新居したことが報じられました。
陸上の小出義雄氏が死去 高橋尚子さんら育てる
#陸上 #小出義雄 #高橋尚子 #死去https://t.co/AIjSbVjPu0— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2019年4月24日
この記事では、小出監督の経歴や亡くなった原因、小出監督の妻や子供、選手時代の陸上成績お紹介します。
1.小出義雄監督が死去|死因は?
小出監督が亡くなられましたが、死因はなんだったんでしょうか?
調べたところによると、小出監督は心臓にペースメーカーをつけていました。
現在のところ小出監督がなくなった原因ははっきりしませんが、心臓の病気の影響があったのではないかと言われています。
台のお酒好きで知られる恋で監督は、晩年はドクターストップでお酒を飲めていなかったというのも聞きました。
もしかしたら、肝硬変や癌を患っていた可能性もあります。
また、長い闘病によって体力が低下し、免疫力が弱まっていたということも考えられ、肺炎や何かのウイルスに感染した可能性も否定できません。
新たな報道で詳細が明らかにはずですので、続報を待ちましょう。
2.小出義雄監督のプロフィールと経歴学歴
小出義雄監督は、1939年4月15日生まれの80歳
でした。
千葉県佐倉市で生まれ育った小出監督は、千葉県立山武農業高等学校を卒業後、一時的に家業の農家をつぎます。
しかし、ここまでやっていた陸上への情熱から、22歳の時に一念発起して順天堂大学体育学部に入学しました。
陸上長距離で素晴らしい成績を残すわけですが、当時の成績はのちほど紹介します。
大学卒業後は保健体育の先生になり、
- 千葉県立長生高校
- 千葉県立佐倉高校
- 船橋市立船橋高校
で教師として働きました。
1988年ソウルオリンピック水泳100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した、現スポーツ庁長官の鈴木大地さんは、市立船橋高校時代の教え子だそうです。
鈴木大地さんが金メダルを獲得した1988年に、小出監督は学校の先生をやめてリクルートのランニングクラブ監督に就任します。
その後、積水化学工業の女子陸上競技部監督を経て、佐倉アスリート倶楽部を設立、現場指導に専念することに。
正確には積水化学在籍時の2001年に佐倉アスリート倶楽部を設立して、翌年の2002年に退社という流れですね。
近年は心臓の病気に悩まされ、2019年3月には指導者から退いていました。
3.小出義雄監督の妻や子供は?
小出義雄監督の家族について見てみましょう。
奥さんと子供についてですね。
①小出義雄監督の妻は?
小出監督の奥さんは、小出啓子さんと言う方です。
↓小出啓子さん
小出啓子さんは1951年、千葉県山武郡大綱白里町で生まれました。
啓子さんと恋で監督は、千葉県立城西高校に勤務していた頃に陸上部の生徒と古文と言う関係でした。
生徒と先生の禁断の愛ですね。
二人は1971年、啓子夫人が二十歳のころに結婚。
性格が豪快で言葉遣いもかなりぶっきらぼうな声で監督を、裏で操っていたと言われる啓子夫人。
陸上の経歴としては、2001年東京国際女子マラソン9位という成績を残しています。
なんと本を出していました!
「爆走!小出家の人々 夫の夢の支え方、妻への愛のそそぎ方」
と言う本です。
『爆走!小出家の人々 夫の夢の支え方、妻への愛のそそぎ方』小出啓子
小出監督の陸上指導者としての経歴を軸に、家族のことを面白く書いているノンフィクションですね。
啓子夫人は30代の頃、大病をして余命幾ばくもないような状態になったことがあるそうですよ。
そのへんの経緯も詳細にかかれています。
②小出監督の子供は?
小出義雄監督と啓子夫人の間には3人の娘さんがいます。
長女は学校の先生をされている方のようですね。
次女は元陸上長距離選手の小出正子さん(現在は高橋正子)。
↓小出正子さん
中央大学卒で、積水化学時代の2001年にロッテルダムマラソンに出場し、2時間28分28秒という好タイムを出して2位に入っています。
三女については今の所情報ありませんね。
今後何か分かってくるかもしれませんので、続報に期待しましょう。
4.小出義雄監督の選手時代の成績は?
小出監督の選手時代の成績について見ていきましょう。
プロフィールの所でも少し触れましたが、小出監督は大学時代に素晴らしい成績を残しています。
小出監督は22歳で順天堂大学体育学部に入学しました。
そして陸上長距離で3年連続で箱根駅伝を走っています。
成績は
- 1年生
5区10位 - 2年生
8区3位 - 3年生
8区5位
です。
これは、高校卒業後に約3年間農業をやっていた間のブランク直後の成績です。
正直、びっくりするような成績ではありませんが、3年間も陸上長距離から離れていた選手が残せるような数字でしょうか?
もし、高校から直接大学へ進学していたら、箱根駅伝の歴史に残るような選手になっていたかもしれませんね。
しかし、紆余曲折あった陸上人生だったために、無名の選手を育ててをものにしていく名監督になったとも考えられます。
5.小出義雄監督死去に関する教え子のコメント
ここでは、小出監督にマラソンを習った教え子のコメントを紹介します。
①有森裕子のコメント
有森裕子さんは、小出監督との思い出はたくさんありすぎて尽きないと語りだしました。
自分のことを、喧嘩もしたし相当手のかかるアスリートだったと自己評価しています。
困っていた監督の顔が思い浮かぶと。
「故障しても、なんでと思うな」
という言葉が最も心に残っているそうです。
有森さんは、「なんで故障するんだろう」とよく落ち込んでいたんですが、恋で監督は「物事にはせっかくということがある」と有森さんに声をかけたそう。
どういうことかというと、
「物事には意味のないものはない。
だからどんなことが起きてもせっかくと思え。
どれだけ故障してもそれに意味があるんだ。
」
ということらしいです。
シンプルかつ前向きな良い言葉ですよね。
それが有森さんにとって、監督からの一番の言葉だったということです。
②千葉真子のコメント
千葉真子さんは2003年の世界選手権女子マラソンで銅メダルを獲った元陸上選手です。
千葉さんは、小出義雄監督の訃報を聞いて大きなショックを受けたようですね。
小出監督について、
「どうせ苦しいことをやるのだからできるだけ楽しく明るく頑張ろう」
といつも太陽のように選手をてらさ照らしてくれていたと語っています。
小出監督はいつも「千葉ちゃん、一緒に頑張ろうな」とポンと背中を叩いてくれたそうですよ。
小出監督の豪快ながら、優しい人柄が分かるエピソードですね。
③高橋尚子のコメント
高橋尚子さんはQちゃんの相性で、小出義雄監督の教え子として最も有名ですよね。
アテネ五輪での日本陸上女子初の金メダルは多くの国民に勇気を与えました。
その立役者となったのが小出監督です。
高橋さんは小出監督は大切な時間をたくさん使って自分を育ててくれ、金メダルを取らせてくれた、もっと監督の笑顔を見たかったし、話がしたかったと語っています。
感謝の気持ちでいっぱいだとも。
高橋さんと小出監督といえば、アテネ五輪で金メダルを獲った際、監督を探す高橋さんをおいて小出監督は飲みすぎて寝ていたという逸話があります。
小出監督はこの件に関し、自分は勝った選手をねぎらうためではなく、負けた選手を慰めるためにゴール地点にいると語っているんです。
勝ったからアテネの時は別に自分がゴールにいなくても良かったという考えなんですね。
かなり素敵な考えだと思いました。
そういう考え方、人柄が多くの選手の心を掴んでいたんでしょう。
今回は小出義雄監督が亡くなられたというニュースについてでした。
小出監督は元来短期な性格で、すぐ怒るタイプだったようです。
ですがある有望な選手が小出監督の指導に耐えきれず、実家に帰ってしまった事を非常に悔み、自分を急激に変えました。
一気に指導方法を「褒めて伸ばす」というやり方に変えたんです。
選手の練習だけでなく、食事や行動も観察して、詳細な行動の何がどういうふうに良かったかを説明して褒めるという。
簡単にできることではないですね。
一時的に変えるだけじゃなく、長く最後まで切ったところが凄いですよね。
小出監督はキャラもたっていてお茶の間にも浸透していましたから、亡くなられて寂しいと感じる人も多そうですよね。
教え子の高橋尚子さんの弔辞がどんなものになるのか、注目です。
最後まで見ていただきありがとうございました。
次の記事もお楽しみに。
では!