古田哲弘さんは、
箱根駅伝最古の区間記録保持者です。
毎年箱根駅伝を見るたびに、
まだ破られてないんだな〜と
感慨にふけるのが恒例になってます。
この記事では、古田哲弘さんの
経歴や、現在の外見や仕事、
箱根駅伝8区の記録や
成績を紹介しています。
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1.古田哲弘プロフィール
本名 | 古田哲弘(ふるた てつひろ) |
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生年月日 | 1977年9月16日(48歳) |
出身地 | 静岡県浜松市 |
身長 | 171cm 56kg 現在は171cm100kg? |
血液型 | A型 |
学歴 | 流用中学(静岡県) 浜松商業高校(静岡県) 山梨学院大学(山梨県) |
趣味 | レコード集め・釣り |
古田哲弘さんは中学時代、
陸上の全中5000mで三連覇して
名門の浜松商業に進学。
高校でも三連覇して6年間同世代に
負け無しでした。
福島国体でも実力者・佐藤敦之(後に早稲田大)
をスタートから置き去りにして独走で優勝するなど、
強さを見せつけています。
私も古田選手の高校2年時に実際の走りを見ましたが、
常に独創でした。
400mトラックで二位を周回遅れにするほどで、
ラスト1周になると太ももをバチンと大きな音で叩いて
自分を鼓舞してさらにスピードを上げてました。
風貌もかっこよく、
坊主頭で鋭い眼光。
ちゃらちゃしたイケメンではなく
コワモテですが静岡のスーパーヒーローと言っても過言ではなかったですね。
2.古田哲弘の経歴
古田哲弘さんの経歴を見てみましょう。
プロフと冒頭でも触れましたが、
古田さんは静岡県浜松市の流用中学時代に
全中三連覇を果たしています。
当時全中5000mは学年別だったのですが、
おそらく全学年共通でも変わらず余裕で三連覇だったと言われています。
記録もさることながら、とにかく勝負強かった古田選手。
その実力は高校でも発揮されました。
高校はスポーツ全般の名門校、浜松商業。
浜松商業時代にも全国大会で軒並み優勝しました。
敵なし状態です。
↓浜松商業高時代の古田哲弘さん
高2高3で高校駅伝の京都で行われる全国大会に出場。
2年連続で1区を走り2位でタスキを繋いでいます。
ん、2位なんだとちょっと驚くんですが、
当時の1位はいずれもその後名ランナーとして活躍した外国人
ダニエル・ジェンガ
ジュリアス・ギタヒ
でした。
圧倒的な身体能力の差があるのは分かりますが、
本人も負ける気は無かったでしょうし、
ファンも旧田なら勝てると思ってました。
ですが、2位だったことにけっこうみんなショックを受けてましたね。
ジェンガとかギタヒって、どんな身体の作りしてるんだろう、
人間と少し違うんじゃないか、と思いました。
古田選手は浜松商業卒業後は箱根駅伝の常連、山梨学院大学に進みます。
大学1年時の箱根駅伝で、8区を走り区間新記録を出しました。
中継では「とんでもない一年生が現れました」と言われていましたが、
中学高校時代を知る者からしたら、「古田なら当たり前」とすら思えたのも事実。
箱根駅伝8区の記録については後ほど詳しく見ていきます。
大学2年時にはエース区間の2区にエントリーしましたが、直前の怪我の影響でエントリー変更されて欠場。
注目していたスポーツ紙の記者たちにどよめきが起きました。
故障を知らなかったファンたちも悲鳴を上げたんです。
私も・・・
大学3年生の頃の箱根駅伝は2区を走りましたが、もう走りが変わっちゃってましたね。
肌ツヤも良くなくて、テレビの見た目ですが筋肉の感じも元気がない印象でした。
走り自体もなんだか危なっかしく、結局ブレーキ・・・。
4年のときは出雲駅伝・全日本駅伝と区間賞でこれは復活か?
と思われたんですが、箱根駅伝では思うような活躍が出来ませんでした。
成績は後でまとめて見てみましょう。
山梨学院大学卒業後は日清食品に入社。
鍛え直して日本のトップで活躍してほしいと誰もが思ってました。
しかし・・・
古田選手、気持ちがもう切れてしまったようで、戦力になることが出来ず家庭等の事情もあり2年で退職することに。
その後は趣味のレコードを活かした仕事、DJとして浜松で活動していたようです。
生活は以前のような華々しい世界とは違い、かなり荒んでいたんだとか。
その後はホストやバーテンダーの仕事などを転々とし、一時営業職に着きます。
しかし長続きせず、再びすさんだ生活に戻ってしまったそうです。
3.古田哲弘の現在の顔画像や外見は?
古田哲弘さん、現在はどんな感じの見た目なんでしょうか。
現在を知る人物がネット上に書き込んだ内容では、
今の髪型はスキンヘッドで、体重は100kg前後だそうです。
古田さんの外見からは、箱根駅伝区間新記録保持者を思わせる要素が無いと言われています。
陸上をやっていたことは触れてほしくない過去のようで、指導者になる意思も無いそうですね。
本人が雑誌等で語ったわけではないので真相は謎ですが、かなり衝撃的な内容なので私はちょっと悲しくなりました。
古田さん本人が幸せなら良いのですが。
既に結婚と離婚を経験されていると言われている古田哲弘さん。
結婚したのは山梨学院大学在学中だったとか。
浜松商業高校の同級生の女性だったそうです。
奥さんと別れてからは、中々新たな一歩を踏み出せず、後ろ向きになってしまったんでしょうか。
経歴からその時期をなんとなく想像してしまいますね。
4.古田哲弘の箱根駅伝8区の区間記録とは?
古田哲弘さんの箱根駅伝8区の区間記録は、
1997年に古田さんが1年生の頃に樹立した
1時間4分5秒
です。
それまでの区間記録を1分30秒も
上回るとんでもないタイムでした。
あれから22年目の2019年現在、
未だ破られていません。
箱根駅伝史上最も長く破られていない記録です。
箱根駅伝8区は、
あまりエース級の選手が走らない
区間とされてきましたが、
最近では青山学院の
下田裕太選手が
・2015年
・2016年
・2017年
と3年連続で走っています。
2015年、
下田選手はずっと破られていない
8区の区間新を目指して、
途中まではかなり良いペースで
いきましたが、
やはりオーバーペースとなり、
後半で力尽き
1時間4分21秒でゴール。
区間賞は余裕で取りましたが、
古田さんの記録には
16秒及びませんでした。
惜しかったですけどね。
ですが
下田選手の凄いところは
その翌年(2016年)も
同タイムで走ってるんです。
これはかなり凄いですよ。
4年生になれば、
難攻不落の8区の記録を
本当に破るんじゃないか?
と期待させてくれました。
しかし、2017年には
下田選手の記録は
ちょっと落ちて、
1時間4分46秒でした。
それだけ難しいコースなんだと
言えますよね。
現在の育成技術でかなり
洗練された選手に仕上がっていた
下田裕太選手でも、
8区の記録は敗れないんですから。
いや、
古田哲弘さん、ほんとに凄いです。
5.古田哲弘の箱根駅伝成績
古田哲弘さんの箱根駅伝の成績を
確認してみましょう。
【1年生 1997年 第73回】
区間=8区
順位=1位
記録=1時間4分5秒(区間新)
【2年生 1998年 第74回】
区間=2区
順位=(故障のため出走せず
記録=なし
【3年生 1999年 第75回】
区間=2区
順位=15位
記録=1時間12分55秒
【4年生 2000年 第76回】
区間=2区
順位=5位
記録=1時間9分50秒
やはり、2年生の箱根直前の怪我が
大きく彼の人生を狂わせたと
言えますね。
表情を変えずに強気に走る姿、
凛々しかったです。
当時の中継の録画が見たい・・・
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以上、今回は古田哲弘さんの経歴や
箱根駅伝8区の記録・成績に加え、
現在の古田さんの外見や仕事等
について紹介しました。
古田さんの箱根駅伝8区の記録、
いつまで破られないで残るんでしょうか?
そろそろ衝撃的な大天才が
8区に降臨するかも?
そうなったときに初めて
古田さんも次の一歩を踏み出せる
のかもしれませんね。
最後まで見ていただき
ありがとうございました。
次の記事もお楽しみに。
では!