夏の風物詩のひとつ、七夕(たなばた)。
笹の枝に飾り付けをして、短冊にお願い事を書いて・・・。
地域によっては、大きなお祭りを開催するところもありますよね。
誰もが一度は体験したことのある七夕の行事。
でも意外と由来や意味については知らなかったりしますよね。
そこで今日は、七夕の由来や意味・しきたりについて、調べてみました!
お子様にも簡単に説明できるQ&Aもありますよ!
- 七夕の由来と意味は?
- 七夕のしきたりは?
- 七夕を子供向けに簡単に説明すると?
七夕の由来と意味は?
七夕(たなばた)は、日本の重要な節句を表す五節句のひとつで、「しちせき」とも読みます。
平安時代から現在まで続くこの七夕の起源には幾つかの説があるんですが、
の3つが合わさったものだと考えられているそうです。
ではひとつひとつ見てみましょう!
「棚機(たなばた)」とは?
「棚機(たなばた)」というのは、日本で昔から行われていた禊(みそぎ)の行事のひとつで、
丁寧に織った布で作った着物を神様にお供えして、その年の豊作を祈ったり、厄払いをお願いするものでした。
この布を織るために、女性がひとり選ばれて、きれいな川辺などの小屋にこもって、布を織ったそうです。
この布を織る作業のことを、機織り(はたおり)といいます。
そして、その機織りに使われていたのが「棚機(たなばた)」という道具です。
木製の大きな機織り機で、歯車のようになっている部分を手で回すようになっています。
この「棚機(たなばた)」という道具の名前が、そのまま風習の名前として定着したというわけなんですね。
その後6世紀になって日本に仏教が伝来すると、この棚機の儀式はお盆を迎える準備として、7月7日の夜に行われるようになりました。
そのことから、7月7日の夕刻を表す「七夕」という感じに「たなばた」という当て字をして呼ばれるようになったそうです。
織姫と彦星の伝説とは?
もともとは中国の伝説で、
織女(しゅくじょ)星と牽牛(けんぎゅう)星のふたつの星が、旧暦の7月7日の夜に天の川を挟んで最も美しく光り輝くことから生まれたお話です。
一般的には、この織女星と牽牛星は、それぞれこと座のベガ、わし座のアルタイルとして知られています。
写真:天の川を挟んで左上に明るく輝くのがベガ(織女星)、右に輝くのがアルタイル(牽牛星)
七夕の伝説のあらすじ
昔々、天の川のほとりに、天の神と娘の織姫(おりひめ)が住んでいました。
織姫はその名の通り、機織りを仕事にしていて、とても綺麗な布を織る娘でした。
しかし仕事熱心すぎて、年頃になっても自分の髪型や身なりにも全く無頓着。
それを残念に思った天の神は、織姫に誰かいい結婚相手はいないかと探しながら天の川の岸辺を歩いていました。
するとある日、天の神は牛飼いをしている夏彦星(なつひこぼし)という青年に出会いました。
その青年の真面目な働きぶりを気に入った天の神は、夏彦を娘と結婚させることにしました。
しかし、それまで働き者だったはずの織姫と夏彦は、結婚した途端に2人で遊んでばかりで、全く仕事をしなくなってしまったのです。
織姫が機を織らないので、空の神様たちの着物はぼろぼろになってしまい、夏彦が牛の世話をしないので草が生いしげり、牛は病気になってしまいました。
それを見た天の神は怒って、ふたりを天の川の西と東に無理やり引き離してしまいます。
大きな天の川に遮られて、お互いの姿を見ることもできなくなったふたり。
そんなふたりに、天の神は、ふたりがちゃんと仕事をするなら年にいちど、7月7日の夜にだけ会わせてあげると約束したのでした。
それ以来、織姫と夏彦は7月7日に会えることを楽しみに、仕事に精を出すようになりました。
しかし7月7日の夜に雨が降ってしまうと、天の川が増水して渡ることができなくなってしまいます。
するとまたふたりは次の年まで会えなくなってしまうのでした・・・。
この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれ、催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれています。
そうそう、そんな話だった!と思い出しました。
なんとなくロミオとジュリエット的なお話しような気がしてましたが、実際には恋愛に夢中で仕事をしなくなったふたりが悪いんですね・・・。
そしてふたりの名前、今まで「織姫と彦星」って呼んでましたが、「彦星」の名前は実は夏彦、なんですね。
夏彦さんという名前の方がなんとなく親近感がわきます。
「乞巧奠(きこうでん)」とは?
乞巧奠(きこうでん)とは、中国の行事で、もともとは7月7日の織姫の伝説にあやかって、お裁縫や織物が上達することを祈る風習でした。
祭壇に針を供えて祈っていたのですが、それが徐々に、書道や芸事の上達も願う風習へと変化していったそうです。
この風習が平安時代に日本に伝わり、宮中行事として7月7日に七夕行事が行われるようになりました。
宮中の人々は桃・梨・なす・干し鯛・アワビなどのご馳走を供えて星を眺め、香をたいたり音楽を奏でたりして七夕の夜を過ごしたそうです。
この時代、里芋の葉に溜まった夜つゆは「天の川のしずく」と考えられていて、この夜つゆで墨を溶かして文字を書くと、書道が上達すると言われていました。
ここが、中国の「お裁縫や織物の上達」から、「書道や詩歌の上達に変化したきっかけなんですね。
さらに人々はこの夜つゆで溶かした墨で、梶の葉(※)に和歌を書いて願い事をする儀式をするようになりました。
(※)梶の葉は、古来から神社で神事などに使われる榊の葉と同様、神聖な木と考えられていたそうですよ。
榊の葉
梶の葉
これが現在の「七夕の日に願い事を書く」という由来というわけです。
そして現在の七夕の形に
江戸時代になって、七夕が五節句のひとつになると、七夕の行事も庶民にまでひろがり、全国的に行われるようになりました。
人々は果物や野菜をお供えし、梶の葉の代わりに紙で短冊を作って願い事を書いて、笹竹の枝に吊るしました。
また、習字や詩歌など習い事の上達を願う行事ということで、寺子屋(現代の学校)の生徒たちによっても盛んに行われるように。
その後も、学校で学問や芸事の上達を願う行事として全国に広まっていったのです。
ここから、子どもたちが願い事を描くという要素が加わったわけですね。
そこに織姫と彦星の伝説の要素も加わって、7月7日の夜に空が晴れ、ふたりが無事に出会えるようにと願うようになりました。
さらに、その日晴れてふたりの願いが叶えば、自分の願いも叶うというニュアンスが加わって、現在の七夕のように様々な願いを書くようになったと言われています。
こうしてみると、3つの要素がうまく融合しているのがよく分かりますね。
七夕のしきたりは?
地方によって若干の違いがありますが、一般的な七夕まつりの祝い方は、
七夕の翌日には、祭りに使った
笹竹を川に流してけがれを祓う、「七夕流し」または「七夕送り」と呼ばれる儀式を行う地域もある
となっています。
七夕ではどうして笹竹を使うの?
冬でも緑色を保って、真っ直ぐに上に伸びる笹や竹は、昔から不思議な力を持つ神聖な植物と考えられていました。
今でもお寺や神社の参道の両脇に竹林を見かけますよね。
これはお寺や神社を神聖な場所に保つ意味合いがあるそうです。
そして、笹や竹は神聖な植物であるゆえに、神様を宿すとも言われています。
そのことから、平安時代の人々は中国から伝わった乞巧奠(きこうでん)の行事でお供え物を置く祭壇に、笹竹を飾り付け、そこに5色(の糸を飾り付けたのだそうです。
この5色の糸は、中国の「自然現象や社会現象は木・火・土・金・水の五つの要素で変化する」という考えから生まれた5つの色と、織姫が機織りをするときにつかう糸に由来するそうです。
この5色の糸が、願い事を書く色とりどりの短冊に変化を遂げ、現在の七夕のスタイルになっているというわけですね。
七夕を子供向けに簡単に説明すると?
学校で七夕の行事を体験するお子さんも多いと思いますが、
ご家庭でお子さんに聞かれても、簡単に説明できるようにいくつかパターンを考えみました!
どうして7月7日なの?
どうして短冊に願い事を書くの?
どうして笹の枝を使うの?
どうして織姫と彦星は七夕にしか会えないの?
どうして「七夕」と書いて「たなばた」と読むの?
どうして短冊以外にも飾り付けをするの?
こんな感じで、お子さんと七夕についてお話しながら、短冊を書いたり折り紙で飾り付けを作ったりしてみてくださいね。
きっといい思い出になりますよ!
以上、
- 七夕の由来と意味は?
- 七夕のしきたりは?
- 七夕を子供向けに簡単に説明すると?
の内容でお送りしました。
年に一度の特別な日、ご家族で楽しいひとときをお過ごしくださいね。