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萩の世界遺産!明治日本の産業革命遺産のエリア別施設一覧

萩の世界遺産!明治日本の産業革命遺産のエリア別施設一覧
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2015年7月5日、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に点在する施設が、明治日本の産業革命遺産という名称(正式名称は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」)で、世界遺産に正式に登録されました。

これらの施設は、1850年代から1910年の幕末〜明治時代に、西洋からの技術と日本の伝統文化を融合させることで急速な発展を遂げた、炭鉱・鉄鋼業・造船業に関する文化遺産です。

今回は萩を特集致します。

明治日本の産業革命遺産をエリア別に分けた時に、年代順で1番目になるのが萩エリアです。

山口県萩市には、世界遺産の構成遺産が5箇所登録されています。

  • 萩反射炉
  • 恵美須ヶ鼻造船所跡
  • 大板山たたら製鉄遺跡
  • 萩城下町
  • 松下村塾

もくじ

世界遺産の明治日本産業革命遺産 萩反射炉

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近世の反射炉で日本に現存しているは、同じく世界遺産の構成遺産である静岡県の韮山反射炉と、この萩反射炉のふたつだけで、貴重な遺構とされています。

1924年(大正13年)には国の史跡に指定されました。

反射炉というのは、金属融解炉の一種で、18世紀から19世紀にかけて鉄の精錬に使われていました。

熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別室になっているのが特徴で、燃焼室で発生した熱を天井や壁で反射させ、側方の炉床に熱を集中させる仕組みになっています。

鉄の精錬は、炉床で行いました。

このような反射炉は、鉄鋼の精錬では転炉など他の方式に取って代わられ使われることはなりましたが、現在でも銅製錬、再生アルミニウムの融解炉として使われています。

萩反射炉は、1840年〜42年に起きたアヘン戦争や、1853年の黒船来航で海防強化の必要性を感じた長州藩(萩藩)によって、西洋式の鉄製大砲を鋳造するための金属溶解炉として導入を計画、1856年に建設されました。

萩反射炉は、実用炉としてではなく、試験炉として使われていて、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産と言われています。

所在地:山口県萩市椿東4897-7
アクセス:
(車の場合)萩市から島根県に向かう国道191号沿い(JR東萩駅から車で3分、石見空港から車で60分)
(公共機関の場合)JR東萩駅から萩循環まぁーるバス(東回りコース)「萩しーまーと」バス停より徒歩約5分 

世界遺産の明治日本産業革命遺産 恵美須ヶ鼻造船所跡

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長州藩が洋式帆船を建造した造船所跡です。

アメリカ合衆国やイギリス、ロシア帝国などの西欧諸国の軍船の相次ぐ日本近海への出現により、海防の必要を感じた幕府は1853年に大船建造禁止令を撤回。

長州藩では藩主毛利敬親の命令により、船大工棟梁の尾崎小右衛門が洋式軍艦の製造を学んで1856年、小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を開設しました。

同年12月、萩藩最初の洋式軍艦である丙辰丸が、1860年には長崎の海軍伝習所でオランダのコットル船建造技術を学んだ藤井勝之進によって、2隻目の庚申丸が造られました。

丙辰丸建造の際に用いられた鉄は、大板山たたら製鉄遺跡(ともに明治日本の産業革命遺産の構成資産)で、伝統的な製鉄法であるたたら製鉄によって造られていて、洋式技術と日本伝統の技術が組み合わせられた稀有な例となっています。

ロシアの造船技術による丙辰丸とオランダの造船技術による庚申丸が建造され、同じ造船所内に異なる外国の造船技術が共存する唯一の造船所でしたが、その後蒸気船が主流となると、長州藩は、外国製蒸気船を購入する方針に変更し、艦船建造は行われなくなり、閉鎖されたものと考えられています。

数少ない西洋式造船所の遺構で、近代技術の導入期を知る貴重な遺産である点が評価され、2013年に国の史跡にも指定されています。

所在地:山口県萩市椿東5159-14
アクセス:絵堂I.C.から車で30分、JR西日本東萩駅から車で15分

世界遺産の明治日本産業革命遺産 大板山たたら製鉄遺跡

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大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代中期から幕末にかけて断続的に操業していた製鉄所跡で、砂鉄を原料に、木炭を燃焼させて鉄を生産する日本古来の方法(たたら吹き)で製鉄していました。


現在、保存整備されている建物跡は幕末期の12年間(1855年〜1867年)操業した時のもので、この頃生み出された鉄は、恵美須ヶ鼻造船所跡で建造された長州藩初の西洋式軍艦「丙辰丸」の材料に供給されました

1981年に山口県教育委員会が行った採鉱冶金関係生産遺跡分布調査により遺跡の状況が明らかになりましたが、1984年に完成した山の口ダムにより遺跡域の南半分はダム湖底に水没してしまいました。

北半分にあった高殿などの製鉄遺跡主要部分はそのまま残され、1988年に山口県指定史跡となりました。

所在地:山口県萩市大字紫福257-5
アクセス:
・松陰神社横の県道11号・10号を北上し、山の口ダム方面に向かう道路(大型車通行不可)の突き当たり
・JR東萩駅から車30分
・萩/石見空港から車60分

世界遺産の明治日本産業革命遺産 萩城下町

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幕末から明治維新にかけて日本の近代国家形成を主導した西南雄藩のひとつ、長州藩の中心拠点で、1604年に毛利氏の戸城として指月山に萩城が建造され、麓に城下町が形成されました

萩城の城郭は、指月山頂に要害を配置し、山麓部には天守閣のある本丸を中心に二の丸、三の丸が設けられ、その間はそれぞれ内堀、中堀、外堀により区画されており、現在もよくその姿をとどめています。

外堀の内側の三の丸は上級武家地で、外堀の外側には中・下級の武家屋敷や町屋、寺院などがエリアに分かれて整然と配置されています。

当時の町割りが今も変わることなくよく残っており、近世の封建社会がわかる典型的な町として現在に受け継がれています。

封建社会の様相を特によく残しているところは、指月山と本丸、二の丸を含む「萩城跡」や武家屋敷や豪商などの町屋が軒を連ねていた「萩城城下町」(いずれも国指定史跡)です。

また、藩の重臣たちの邸宅が建ち並ぶ上級武家地(三の丸)「堀内(ほりうち)地区」(国選定重要伝統的建造物群保存地区)も当時の雰囲気を残しています。

所在地:山口県萩市大字堀内1
アクセス:
・萩方面に向かう国道262号から国道191号に直進し、萩橋西詰を左折、突き当たりまで
・JR東萩駅から車5分
・萩石見空港から車60分
・萩循環まぁーるバス(西回りコース[晋作くん])で萩城跡・指月公園入口下車徒歩0分

世界遺産の明治日本産業革命遺産 松下村塾

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長州藩校明倫館の師範を務めた藩士吉田松陰が講義した私塾で、塾自体は1842年〜1892年の50年間運営されていました。

吉田松陰が指導をした2年10ヶ月の間の塾生の中から、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など、幕末から明治維新にかけての日本の近代化・産業化に貢献する人材を輩出したことで有名です。

萩市の松陰神社の境内に幕末当時の塾舎が現存しています。

建物は木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初からあった八畳と、吉田松陰と塾生によって増築された十畳半の部分からなっています。

1922年(大正11年)10月12日には、国の史跡に指定されました。

同じく国の史跡に指定されている吉田松陰幽囚ノ旧宅が隣接しています。

所在地:山口県萩市大字椿東1537-1
アクセス:
・国道191号・262号の交点から県道11号を通って県道67号を北に向かって右側
・JR東萩駅から車3分、萩・石見空港から車60分
・萩循環まぁーるバス(東回りコース)松陰神社前下車徒歩0分
以上、萩市にある5カ所の世界遺産構成資産施設をご紹介しました。

いずれも萩市内にある程度まとまっているので、1日で見て回ることが可能です。

「萩循環まぁーるバス」という、萩市役所発着で西回りと東回りで運行している循環バスが観光に非常に便利ですので、ご紹介します。

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萩巡回まぁーるバス路線図
運賃は、1回100円、1日券500円、2日券700円などあります。

(※1歳未満児は無料、1歳以上6歳未満児は、同伴者1人につき3人まで無料)


以上、今回は世界遺産登録!明治日本の産業革命遺産のエリア別施設一覧その1として「萩」を特集致しました。

  • 萩反射炉
  • 恵美須ヶ鼻造船所跡
  • 大板山たたら製鉄遺跡
  • 萩城下町
  • 松下村塾

萩の城下町はもともと観光地としても人気のある場所ですので、観光を兼ねて世界遺産を見て回ってはいかがでしょうか。

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