2015年5月4日、世界遺産の調査機関ICOMOSが、日本の23箇所の機械資産について、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録につき「登録がふさわしい旨」を勧告しました。
その中でも、長崎県にある無人島端島は、「軍艦島」との通称で知られ、かつての繁栄がそのまま廃墟となって残っていることから、廃墟ファンの間では一度は訪れたい場所として知られていました。
そんな軍艦島の歴史やアクセスについて調べてみました。
軍艦島の歴史
軍艦島とは、長崎県長崎市にある端島という島の通称で、遠くから見た姿が軍艦に似ていることからこう呼ばれています。
(形状から、軍艦島と呼ばれている島は他に、広島県大崎上島町の契島などがあります。
)
端島は明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していましたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島になっています。
端島はもともとは、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬でしたが、その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張し、現在の大きさになりました。
現在の大きさは、南北に約480メートル、東西に約160メートル、面積は約6.3ヘクタールで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われています。
島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っていて、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設があります。
端島での石炭の発見は一般に1810年(文化7年)のこととされますが(発見者は不明)、長い間本格的な採掘は行われていませんでした。
その後、1890年(明治23年)、当時の端島炭鉱の所有者だった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡し、端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となりました。
1897年頃には出炭量が安定し、三菱社船「夕顔丸」の就航、蒸留水機設置にともなう飲料水供給開始(1891年)、社立の尋常小学校の設立(1893年)など基本的な居住環境が整備されるとともに、島の周囲が段階的に埋め立てられました。
1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設され、島の外観がまるで軍艦のようだということから、「軍艦島」との通称が使われるようになりました。
大正時代には日本人労働者に加えて多くの朝鮮人・中国人労働者も徴用されましたが、給料や食事、休日などの虚偽の好条件で騙されてやってきた労働者が多く、劣悪な環境に耐えられず泳いで島を脱出しようとする「島抜け」や自殺をする者もいました。
脱出は実際にはほとんど成功しなかったため、「監獄島」とも呼ばれていたそうです。
石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年(昭和16年)には約41万トンを出炭して、日本の近代化を支えていた端島。
最盛期の1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km²と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達していました。
炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院・寺院・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあって、島内においてほぼ完結した都市機能を有していました。
ただし火葬場と墓地、十分な広さと設備のある公園は島内になく、端島と隣接する高島の間にある中ノ島に建設されました。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退し、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年(昭和49年)1月15日に閉山しました。
閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れて、端島は無人島になり、現在は長崎市所有の島となっています。
以来、建物の老朽化・廃墟化によって危険な場所が増えたことから長らく立ち入り禁止になっていましたが、2005年にメディア限定で立ち入り公開され、内部の様子が伝えられると、廃墟ファンの間などから大きな反響がありました。
その後、修復と整備がなされ、安全面での問題が解決したとの判断から2008年に長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」が成立、2009年4月22日、島の南部に整備された見学通路に限り、観光客が上陸・見学できるようになりました。
上陸のためには上陸のためには風や波などの安全基準を満たしていることが条件になっていて、長崎市は上陸できる日数を年間100日程度と見込んでいますが、観光地としての人気が高く、軍艦島上陸ツアーによる経済波及効果は65億円に上っています。
軍艦島の映像
軍艦島へのアクセス・ツアー情報は?
端島には飛行場がなく、また別の陸地とをつなぐ橋梁もないため、端島へ至る交通機関は船舶に限られています。
以前は、海上タクシーなどで無断で上陸する観光客もいたようですが、上陸見学ができるようになった現在では、軍艦島コンシェルジュ、 やまさ海運、高島海上交通の上陸ツアー(長崎港→端島→長崎港)などの見学ツアーを利用しての観光が一般的で、2010年8月には伊王島からの上陸ツアーも開始されました。
参考サイトのリンク
▶ 軍艦島コンシェルジュHP
長崎港からの軍艦島上陸ツアー、運賃+入場料で、平日大人は3,900円、休日4,200円だそうです。
島に1時間ほど上陸し、ガイドさんと一緒に見学エリアを回るツアーです。
軍艦島コンシェルジュの場合は、悪天候で欠航となった場合には全額返金してもらえるようですが、運行会社によって上陸できない場合は周遊など、条件が異なりますのでご確認ください。
参考サイトのリンク
▶ やまさ海運HP
▶ 高島海上交通HP
どのツアーも、それぞれ個性があって面白そうです。
やまさ海運のHPには月別の上陸率統計もあるので、10月、11月などなるべく上陸率の高い月を狙うことをお勧めします。
長崎港への陸路でのアクセスは、
電車の場合:市電大波止電停より徒歩2分、JR長崎駅より徒歩10分
車の場合:長崎空港より1時間、ハウステンボスより1時間半、長崎出島道路出口より約5分となっています。
スカイツアーズなど代理店で、長崎までの航空券付きツアーもあります。
参考サイトのリンク
▶ スカイツアーズ
世界遺産に登録されたこともあり、観光客も多く集まっていますので、早めの予約がおすすめです。
軍艦島あとがきと書籍紹介
以上、
・軍艦島の歴史
・軍艦島へのアクセス・ツアー情報
の内容でお送りしました。
軍艦島は2017年に韓国で映画になっています。
内容は実際とかけ離れていたということで、韓国国内でも批判の的になったんだとか。
正しい歴史を描いて逆の意味で注目される映画を誰か作ってほしいですね。
【関連書籍紹介】
↓「THE ISLAND 軍艦島」
松本人志さんの番組「クレイジージャーニー」に出演した写真家の佐藤健寿さんの著書です。
↓「軍艦島の生活<1952/1970>」
廃墟となった現在の写真だけでなく、活気のあった1950年代〜1970年までの実際の様子が分かる本です。
島の歴史を知るにつけても興味深い軍艦島。
いつか訪れてみたいです。