鹿児島の世界遺産!明治日本の産業革命遺産のエリア別施設一覧
鹿児島の世界遺産は、
「明治日本の産業革命遺産」
の一部です。
明治日本の産業革命遺産は、正式名称は
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」
といい、以下の8エリアに点在しています。
- エリア1=山口県(萩)
- エリア2=鹿児島県(鹿児島)
- エリア3=静岡県(韮山)
- エリア4=岩手県(釜石)
- エリア5=佐賀県(佐賀)
- エリア6=長崎県(長崎)
- エリア7=熊本県(三池)
- エリア8=福岡県(八幡)
これらの施設は、1850年代から1910年の幕末〜明治時代に、西洋からの技術と日本の伝統文化を融合させることで急速な発展を遂げた、炭鉱・鉄鋼業・造船業に関する文化遺産です。
今回はエリア2の鹿児島県にある3施設を紹介します。
鹿児島の世界遺産 旧集成館
欧米からの圧力に対抗するために、薩摩藩の藩主島津斉彬は軍事の強化と様式産業の育成の重要性を感じて、1851年に現在の鹿児島市吉野町磯地区に工場群を設けました。
この日本最初の洋式産業群の総称を「集成館事業」といいます。
工場がいくつも集まったこの集成館では、製鉄・造船・紡績など広い分野の産業が行われました。
1858年に斉彬が亡くなった後、財政問題などから集成館事業は一時縮小されましたが、1863年の薩英戦争でイギリス海軍と交戦した薩摩藩は、集成館事業の重要性を改めて認識します。
そして、集成館機械工場(現尚古集成館)、日本初の紡績工場である鹿児島紡績所を建造するなど日本の近代化に貢献しました。
その薩英戦争や、1877年の西南戦争で被害を受け、その度に再興しましたが、1915年に廃止されました。
この旧集成館には、世界遺産の構成施設が3つ含まれています。
・旧集成館反射炉跡
鉄を溶かして大砲の玉などを作っていた反射炉の、土台部分の遺構が残っています。
佐賀藩が所有していた、オランダの技術書の日本語訳を基に、それまでの工法による石積みや、鹿児島県の陶器である薩摩焼の技術を用いた耐火煉瓦製造など、和洋折衷の技術で建設された反射炉です。
・旧集成館機械工場
1863年の薩英戦争で、軍事力の強化と産業の発展の必要性を改めて強く感じた薩摩藩では、島津忠義の手で焼失した集成館の復興が進められ、1864年に機械工場の建設が始まり、翌1865年に完成しました。
ここでは、島崎製鉄所を手本にオランダの工作機械を輸入し、洋式機械による金属加工や船舶の修理・部品加工が行われました。
機械工場は地元の溶結凝灰岩が使われていて、完成当初から「ストーンホーム」と呼ばれていました。
小屋組などの構造は洋風を基本としていますが、洋風建築への理解不足も見受けられ、日本人たちが独学で建設したことがうかがえます。
1915年に集成館が閉鎖された後、機械工場は1962年に旧集成館機械工場として国の重要文化財に指定され、尚古集成館に現存する形削盤(オランダの工作機械メーカーで1863年に製造)も重要文化財に指定されています。
閉鎖後は、島津家に伝わる資料を展示する施設として改修され、1923年に尚古集成館として開館しました。
・旧鹿児島紡績所技師館
1867年に鹿児島紡績所を建設した島津忠義は、イギリスから7人の技術者を招いて工場の設計と技術指導を依頼し、彼らの宿舎として鹿児島紡績所技師館を建設しました。
外観は洋風ですが、柱には尺寸法が用いられ、屋根裏小屋組が和式であるなど、和洋折衷の建築です。
イギリス人技術者が本国に帰国した後は、大砲製造の支配所などとして使用されました。
1882年に鹿児島城本丸跡に移築されて学校などに使用された後、1936年に再び現在の場所に移築されました。
「鹿児島異人館」とも呼ばれています。
所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
アクセス:
・鹿児島から宮崎に走る国道10号沿い左側
・JR鹿児島中央駅から車20分
・鹿児島空港から車40分
・民間バス:鹿児島シティービュー 仙巌園前(磯庭園前)下車徒歩1分
鹿児島の世界遺産 寺山炭窯跡
集成館事業の反射炉・高炉・蒸気機関などには大量の燃料が必要になったため、島津斉彬は集成館から北北東約5kmに位置する吉野町寺山に木炭や火力の強い白炭製造用の炭焼窯の設置を命じ、1858年に建設されました。
それが寺山炭窯跡です。
現在は炭窯の跡が残っていて、石積で築造された当時の姿を見ることができます。
2013年には国の史跡に指定されました。
所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町10710-68
アクセス:
・JR鹿児島中央駅から車45分
・バス:JR鹿児島中央駅から西別府団地線にて40分、少年自然の家入口バス停下車、徒歩20分
鹿児島の世界遺産 関吉の疎水溝
集成館事業の高炉や鑚開台(砲身に穴を開ける装置)などの動力には、当時まだ研究段階だった蒸気機関を使用することができなかったので、水車動力が用いられました。
島津斉彬は、もともと島津家の庭園に山から水を引くために築かれていた疎水(吉野疎水)から新たな水路を築き、約7kmに渡って水路で集成館の水車まで導水しました。
関吉には、稲荷川から取水した当時の取水口跡が残っていて、疎水溝の一部は現在も灌漑用水として利用されているそうです。
また、磯地区でも集成館への水路跡を見ることができます。
2013年に国の史跡に指定されました。
所在地:鹿児島県鹿児島市下田町1263先
アクセス:
・JR西日本鹿児島中央駅から自動車で約30分
・九州自動車道吉田インターチェンジから自動車で約15分
・JR鹿児島中央駅からバス緑ヶ丘団地線で30分、下田バス停下車、徒歩12分
以上、今回はエリア2の鹿児島にある世界遺産を紹介しました。
明治日本の産業革命遺産については、エリア別で記事を書いています。
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旅行などで行かれる際の参考になればと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。