2016年9月に開幕し、男子プロバスケットボールに新たな旋風を巻き起こしているBリーグ(B.LEAGUE)。
地域に根ざしたチームが全国各地で下克上を繰り広げるこのBリーグ、地元のチームにどんな選手がいるのか知っていると応援にも身が入りますよね!
というわけで今回は、沖縄県沖縄市をホームタウンとする琉球ゴールデンキングスの基本情報と、注目のイケメン選手プロフィールを紹介します!
琉球ゴールデンキングスの基本情報
琉球ゴールデンキングス(RYUKYU GOLDEN KINGS)の基本情報です。
地区:B1西地区
本拠地:沖縄県沖縄市
ホームアリーナ:沖縄市体育館
略称:北海道
チームカラー:ゴールド・スチールブルー・パープルレッド
チーム名の由来:沖縄が琉球王国であった歴史に由来し、「キングス」とつけた。
キング(王)のような存在になって欲しいという願いも込められている。
クラブマスコット:バスケットボールの妖精・ゴーディー
琉球ゴールデンキングスの注目イケメン選手プロフィール紹介
イケメンぞろいの琉球ゴールデンキングスでも特に注目のイケメン選手を紹介します!
琉球ゴールデンキングスの注目イケメン選手1:大宮宏正選手
一見、沖縄出身の選手かと思ってしまうような彫りの深さの大宮宏正選手。
大きな体と明るい笑顔が印象的なイケメンさんです。
大宮宏正選手のプロフィール
本名 | 大宮宏正(おおみや ひろまさ) |
愛称 | オーミ |
生年月日 | 1983年11月17日(41歳) |
出身地 | 栃木県芳賀郡茂木町 |
身長 | 197cm |
体重 | 92kg |
血液型 | O型 |
背番号 | 8 |
ポジション | パワーフォワード(PF) |
出身校 | 栃木県芳賀郡茂木町立茂木中学・作新学院高等学校・専修大学 |
栃木県芳賀郡茂木町出身の大宮宏正選手。
バスケを始めたきっかけは、「スラムダンク」の8巻を読んだことだそう。
「スラムダンク」の8巻の発売は1992年、大宮選手が小学校3年生くらいの時ですね。
栃木県芳賀郡茂木町立茂木中学から作新学院高等学校と、栃木県でバスケを続けた大宮選手。
大学はバスケの強豪・専修大学に進学されました。
専修大学では大学入学の年にインカレ優勝を経験、その後2年で関東大学リーグ戦優勝、3年時には関東大学選手権優勝と、優勝経験を重ねました。
また、大学2年の時に出場した第19回京王電鉄杯8大学バスケットボールフェスティバルでは準優勝となり、優秀選手賞に選ばれています。
大学の時から大宮選手といえば豪快なダンクシュート!
チームの流れが悪い時でも大宮選手を投入するとリバウンドからのダンクや3Pシュートなどを決め、チームの流れを良くすると定評がありました。
大学在学中に日本代表にも選出され、ユニバーシアードや国際試合も経験しています。
大学卒業後は三菱電機に入団し、その後2008年にJBLに昇格を決めた地元チーム・リンク栃木ブレックスに移籍。
2010年には、リンク栃木のリーグ優勝の貢献したとして、茂木町民栄誉賞第1号を授与されています。
地元の町から愛されている大宮選手、いいですよね。
2011年にアイシンシーホースへの移籍を経て、2013年、NBLに新規参入したばかりの熊本ヴォルターズへ移籍。
ファン投票で、NBLオールスターにも選出されました。
2014年7月に琉球ゴールデンキングスに移籍し、豪快なダンクでファンを沸かせてくれています。
プライベートでは、奥さんの千尋さんとの間に3人のお子さんがいらっしゃるパパ。
奥さんの千尋さんは、熊本時代に児童養護施設の子供たちを試合に招待するための募金活動を発足させるなど、心優しく行動力のある方です。
現在は沖縄でお子さんと一緒にビーチを散歩したりしている様子をツイッターで紹介されている大宮選手。
開放的な沖縄でますますダイナミックに活躍して欲しいですね!
琉球ゴールデンキングスの注目イケメン選手2:波多野和也選手
海外のバスケ映画の主演俳優?と思ってしまうような、はっと目をひくイケメン・波多野和也選手。
お母さんがブラジル人で、ブラジル生まれの日本育ちな日系ブラジル人選手です。
波多野和也選手のプロフィール
本名 | ジェームス・和也・ラモス・波多野(James Kazuya Ramos Hatano) |
愛称 | J |
生年月日 | 1982年4月19日(42歳) |
出身地 | ブラジル・パラー州ベレン |
国籍 | 日本 |
身長 | 192cm |
体重 | 95kg |
血液型 | O型 |
背番号 | 10 |
ポジション | パワーフォワード(PF)・センター(C) |
出身校 | 秋葉台小学校・横浜市立永田中学校・静岡学園高等学校・専修大学 |
ブラジル人のお母さんと、日本人のお父さんの間に生まれた波多野和也選手。
小学校3年生くらいまでの幼少期をブラジルで過ごしました。
横浜市立永田中学校に入ってからバスケと出会いましたが、高校になっても続けるかどうかは迷っていたそう。
しかし、当時静岡学園高等学校のバスケ部コーチだった小松裕幸氏から「一度練習を見にこないか」と言われ見学したことがきっかけで、静岡学園高校に進学しました。
当時バスケの強豪校ではなかった静岡学園ですが、バスケを強化したいという学校の方針で、波多野選手の年に初めて県外から生徒が入ったのだとか。
2年次に出場したインターハイでは1回戦負けをきしましたが、チームトップの19点を挙げるなど活躍。
3年次のインターハイでも1回戦で21得点、2回戦で41得点、3回戦で31得点、準々決勝で22点を挙げました。
チームは準々決勝で敗退しましたがこの活躍が目にとまり、U-18日本代表に選出され、第16回アジアジュニア選手権大会に出場。
また、3年生のときには静岡学園高校はウィンターカップ初出場を果たしています。
高校の時も進路は特に考えておらず、普通に就職しようかなと思っていた波多野選手でしたが、専修大学の中原雄ヘッドコーチが高校に指導に来ていた関係から専修大学への進学が決まりました。
専修大学では1年生の時からスタメンで試合に出場。
1年目のインカレでは専修大学の3位入賞に貢献し、専修大学勢で唯一の優秀選手賞を受賞しています。
また、U-20日本代表のメンバーに田臥勇太選手らと共に選出され、世界選手権にも出場。
翌2002年にはオールジャパンに出場し、さらに2度目のインカレでは優勝、2年連続で優秀選手賞を受賞しました。
2003年にもオールジャパンに出場。
韓国で行われたユニバーシアードの日本代表(U-24)メンバーにも選出されています。
2004年も3年連続でオールジャパン出場。
大学4年生時には関東1部リーグ戦とインカレで準優勝し、同大会3度目となる優秀選手賞を受賞。
2005年のオールジャパンにも4年連続で出場と、華々しい成績を残して大学を終えました。
大学卒業後の2005年、大阪エヴェッサからドラフト1巡目指名で入団。
スタメンとして活躍し、大阪エヴェッサのbjリーグ優勝(bjリーグ初代王者)に貢献しました。
その後、2009年から埼玉ブロンコス・滋賀レイクスターズ・大分ヒートデビルズ・島根スサノオマジック・大分ヒートデビルズ(2度目)・滋賀レイクスターズ(2度目)を経て、2016年に琉球ゴールデンキングスに移籍しました。
プライベートでは2006年に専修大学のバスケ部の先輩だった五月さんと結婚。
2008年に結婚式を挙げられ、4人の子宝にも恵まれ家族仲良く暮らしていらっしゃいます。
お子さんの名前は、分かっているのが陽南(ひな)ちゃんと陽斗(はると)くん、ヒカリちゃん。
徐々に増えているように思える腕のタトゥーにもお子さんの名前「陽南」がちゃんと入っていますよね。
他のふたりの名前はどこかな・・・なんて探してしまいます。
「陽菜」という文字も見えますよね。
また、みかんちゃん、大将くんという2匹のわんちゃんもいて、本当ににぎやかそうな波多野家ですね。
波多野選手はとっても子煩悩みたいで、よく子供達と一緒におでかけしたりお散歩したり・・・、良いパパって感じです。
タトゥーといえば、首のところに入っている文字はは「己信」。
己を信じてっていう言葉、さすが実績を残してきた波多野選手、かっこいいですね。
琉球ゴールデンキングスの注目イケメン選手3:田代直希選手
正統派のイケメン・田代直希選手。
2016年に大学を卒業し、琉球ゴールデンキングスに入ったルーキーです。
田代直希選手のプロフィール
本名 | 田代直希(たしろ なおき) |
生年月日 | 1993年06月24日(31歳) |
出身地 | 千葉県船橋市 |
身長 | 188cm |
体重 | 90kg |
背番号 | 24 |
ポジション | スモールフォワード(SF)・パワーフォワード(PF) |
出身校 | 船橋市立高根台中学校・東海大学付属浦安高等学校・専修大学 |
好きな食べ物 | チーズケーキ |
嫌いな食べ物 | トマト |
2歳年上のお兄さんの影響でバスケを始めた田代直希選手。
ミニバスチームに入れるのが小学校4年生からだったので、それまでは幼稚園から水泳や野球などいろんなスポーツをしていたそうです。
小学校のミニバスチームでは千葉県で2位になるなど優秀な成績を収めましたが、小学校6年生のときの練習がきつくて、中学でバスケを続けるつもりはなかったそう。
地元の中学校に進み、部活もテニス部や陸上部の見学に行ってみたりしましたが、結局友達に誘われてバスケ部に。
しかし強いチームでもなく、市選抜やジュニアオールスターに選ばれるような活躍も特にない中学時代で、高校でもバスケを続けようとは思っていませんでした。
普通に受験をして、近くの高校に行こうと早々にバスケ部も引退、夏休みも勉強して過ごし、受験間近になった11月ごろに体育の授業で久しぶりにバスケをやったら楽しく、「やっぱりバスケがやりたい」と東海大学付属浦安高等学校への進学を決めました。
高校時代は練習も厳しく、得るものは大きかった3年間でしたが、チームとしてなかなか勝つことができず全国大会とは無縁のままでした。
高校2年生のときに、先輩から誘われてバスケの強豪・専修大学に進むことを決めた田代選手。
高校2年で「どこの大学か決まった?そろそろ決めないとやばいだろ」と言われて、「バスケのトップクラスの人たちって、高2のこのくらいの時期でもう決まってるのか・・・!」と驚いたそうです。
それで、大学はじゃぁ専修大学に・・・と思っていたら、実はその先輩が田代選手のことを高3だと勘違いして誘っていたことが判明し、実際には高3になってちゃんと専修大学から声が掛かったそうです。
そんなこんなで専修大学に入学した田代選手。
高校までは全国大会と無縁で、華々しい舞台にも立ったことがありませんでしたが、大学になって頭角を表し、3年のときには専修大学バスケ部のエースとして活躍しました。
3年のときには、2部リーグ降格を目前にした入替戦に勝利。
なんとか1部リーグにとどまり、4年次も関東大学リーグ・インカレとチームを牽引しました。
専修大学4年の時の田代直希選手のインタビュー動画
2015年のインカレでは「選手が選ぶ部門別ランキング」のフォアード編で1位に威張られた田代選手。
同じ選手から讃えられ、恐れられているってすごいですよね。
「人間性も良い」っていうコメントもナイスです!
しかし、大学4年は楽しさを味わいつつケガにも苦しんだ田代選手。
膝の前十字靭帯を完全断裂し、痛みと戦いながらの試合出場に加え、引退後は膝の手術でしばらくリハビリの日々でした。
2016年、膝を完治させてプロ1年目、琉球ゴールデンキングスでの活躍が本当に楽しみですね。
ちなみに、田代直希選手と小学校の頃から仲の良い原修太選手(上の動画でもコメントしてます)もイケメンです。
原修太選手の詳しいプロフィール記事はこちらにありますので、よかったらチェックしてみてくださいね!
▶ 千葉ジェッツ(Bリーグ)の注目イケメン選手プロフィール紹介!
琉球ゴールデンキングスあとがき
以上、今回は
- 琉球ゴールデンキングスの基本情報
- 琉球ゴールデンキングスの注目イケメン選手プロフィール紹介
という内容でお送りしました。
Bリーグについてや、B1・B2の全チーム紹介の記事も書いていますのでよかったら読んでみてくださいね!
▶ Bリーグとは?B1・B2チーム一覧!本拠地はどこ?カラーやチーム名由来も
かっこいいイケメンさんたちがコートを走り回り、シュートを決める姿は本当に素敵ですよね。
ぜひテレビや会場でバスケ観戦してみてください!
最後まで読んでいただきありがとうございました。