真木和(まきいずみ)の死因は?経歴や年齢からマラソン成績と記録まで

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真木和さんはマラソン・アトランタ五輪代表の陸上選手です。


2018年10月18日に亡くなっていたことが、23日に発表されました。

突然の不法に関係者の間に衝撃が走っています。


この記事では真木和さんの経歴や年齢、マラソン成績や記録を紹介するとともに、死因についても触れています。


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1.真木和プロフィールと経歴


本名 真木和(まき いずみ)
生年月日 1968年12月10日(享年49歳)
出身地 愛媛県今治市
身長体重 161cm、44kg
血液型 ー型
所属 FRA藤田ランニングアカデミー
協議 陸上長距離

 
真木和さんは愛媛県今治市出身です。

高校は愛媛県立今治北高校に進学して陸上部に所属。

メキメキ実力をつけて女子陸上の強豪・ワコールに入社しました。

ワコールでは主に長距離トラック競技の選手として活躍。

1991年には世界陸上東京大会に10000mの代表に選ばれています。

世界陸上では松野明美さんと一緒に戦いました。

1992年には10000mの日本棄老を樹立するなど、トップ選手として活躍し多くの陸上ファンの記憶に残っています。

1995年にマラソン転向。

初マラソンとなったアトランタ五輪の選考レース、名古屋国際女子マラソンで優勝して代表になりました。

しかし故障の影響でオリンピックでは12位という結果に。

本来の実力を発揮できていれば金メダルを取れたはずだとみんな思ってましたね。

真木和さんは五輪後も故障が完治せず、引退を決意。

その後ワコールを解雇された藤田監督についていく形で真木さんもワコールを退社しました。

その時、ワコールから何人かの選手も一緒に退社したそうですが、その中に後のアテネ五輪金メダリスト・野口みずきさんもいたそうです。

ワコールを退社したグループはそのままグローバリーの陸上部を設立

真木さんは2003年に山岡重行さん(関西テレビ職員)と結婚してグローバリーを退職しました。

翌年の2004年、グローバリー陸上部はアテネ五輪で野口みずきさんが金メラルを取るなど輝かしい実績を残しました。

しかし2005年にグローバリー陸上部が背部となり、藤田監督と野口みずき選手はシメックスへ移籍します。

ワコールからグローバリー陸上部を設立した同志ということで、真木さんと藤田監督・野口みずきさんはその後も親交があったそうです。

強い絆で結ばれていたんですね。



2.真木和の死因となった病気は?


真木和さんは2018年10月18日に、大阪府箕面市にある自宅でなくなりました。

49歳でした。

まだ若いのに残念でなりません。

亡くなる原因となった病気は乳がんです。

乳がんで亡くなられる方が最近多いように思えますね。

本当に怖い病気です。

旦那さんの山岡重行さんをはじめご家族の方々はさぞ無念だったでしょうね。

直接の知り合いではなくても有名人の方が亡くなると寂しいです。

詳細な闘病の様子などはわかっていませんが、心からご冥福をお祈り致します。



3.真木和のマラソン協議成績や記録は?


真木和さんのマラソンやその他の長距離協議の成績と自己ベスト記録を見てみましょう。

①競技成績

真木和さんの競技成績は以下の通りです。
  • 1991年
    • 世界陸上東京大会 10000m(20位)
  • 1992年
    • 兵庫リレーカーニバル 10000m(日本新)
    • 日本陸上競技選手権 10000m(優勝)
    • バルセロナ五輪 10000m(12位)
  • 1993年
    • 世界陸上シュツットガルト大会 10000m(17位)
  • 1995年
    • 札幌国際ハーフマラソン(1位→ドーピング違反で失格)
  • 1996年
    • 東京シティハーフマラソン(優勝・日本新)
    • 名古屋国際女子マラソン(優勝)
    • アトランタ五輪 マラソン(12位)

実力をいかんなく発揮できたのは名古屋国際女子マラソンのときです。

この時が本当の力でした。

しかし不運にも故障でオリンピックでの金メダルはなりませんでした。

ですが藤田監督のマラソン転向アドバイスは的確だったと思います。

名古屋国際では、バルセロナ金メダリストのエゴロワ(ロシア)も真木さんに刃が立たなかったんですから。

すごいことです。

②自己ベスト記録

真木和さんの自己ベスト記録を見てみましょう。
  • 5000m
    15分27秒12 (1991年)
  • 10000m
    31分40秒38 (1992年)
  • ハーフマラソン
    1時間08分18秒 (1996年)
  • マラソン
    2時間27分32秒 (1996年)

いずれも記録した当時は日本トップレベルの記録でした。

真木さんは走り方もキレイで、用紙もボーイッシュで可愛かったですよね。

今のように環境がもっと整っていれば故障もなかったのではないでしょうか。

陸上界には、トップ選手をさらにメダリストへ昇華させる技術を今後は求めていって欲しいです。


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以上、今回は真木和さんの死因や経歴、マラソン成績と記録を紹介いたしました。

若い方が亡くなる辛い訃報でしたが、経歴を再確認したいという声も多いです。

真木さんの活躍していた当時の映像など、発見できたらまた紹介したいと思います。


最後まで見ていただきありがとうございました。

次の記事もお楽しみに。

では!

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