小柳ルミ子は、日本の女優で、シングル曲「私の城下町」で1971年7月26日にデビューした歌手でもあります。
その後、瀬戸の花嫁では、第3回日本歌謡大賞を受賞しました。
その後も、レコードは順調に売れて行きトップ歌手の名をほしいままに。
2018年には西郷どんのキャストに選ばれていますね。
最近はサッカー観戦ノートを付けながら年間数百試合を見ているということで話題となっている小柳ルミ子。
この記事では、小柳ルミ子と大澄賢也の離婚理由や二人の馴れ初め、若い頃の美人な顔画像を紹介します。
1.小柳ルミ子の経歴
まずは小柳ルミ子の経歴を見てみましょう。
1970年にNHKの朝ドラ「虹」で女優デビューしました。
1971年に「私の城下町」で歌手デビューするとレコード大賞最優秀新人賞を受賞。
同年には紅白歌合戦にも初出場しました。
それ以降も、瀬戸の花嫁・京のにわか雨・お久しぶりね・など、ヒット曲を連発しています。
タレントとして活躍し、「ドリフの大爆笑」などバラエティ番組にも出演することに。
1989年には13歳年下の俳優・大隅賢也と結婚しました。
芸能界切手の年の差夫婦ということで度々メディアに揃って登場し、中の良いところをアピールしていましたが、2000年に大隅賢也の浮気が原因で離婚してしまいます。
現在はサッカー観戦が生きがいということで、生活の全てがサッカー中心になっているんだとか。
サッカー観戦ノートがテレビで取り上げられたり、サッカーの書籍を出版したりと、既にサッカー界をも動かすようなラスボス的存在になってますね。
小柳ルミ子のサッカーノートヤバ… #fujitv pic.twitter.com/0ZF4NGIuQ5
— ゆるヒヤ (@megane_89) 2017年7月9日
この前のフットブレインでの小柳ルミ子さんのサッカーノートの一部。
特にサッカーに大切な「い」の法則は参考になった👍
ご本人も言ってたけどサッカーだけでなく何事にも通ずるよね。— Hiro (@hiro_gamba7) 2017年6月12日
また、アルゼンチン代表・FWリオネル・メッシに取材を行う程で、もはやただのサッカーファンではなく、「新しいメディア」といえるほどに成長(?)しています。
現在は、1試合約2時間を平均5試合、年間で2000試合を見るとも言われており(自分で言ってます)、どうすればそんなにたくさん見れるのか日々問合せが絶えないのだそうですよ。
2.小柳ルミ子と大澄賢也の離婚理由が悲しすぎる!
小柳ルミ子と大澄賢也は1989年に結婚しました。
当時小柳は36歳、大隅は23ということで、実に13歳の年の差。
かなり話題となりました。
小さい頃にテレビで見た印象としてはかなりおばさんと若い人が結婚したんだなあという感じでしたが、今当時の画像見るとふたりとも若いし、普通にちょっとだけ年が離れたカップルという風に見えてしまいます。
しかし、2000年に11年間の結婚生活にピリオドをウチました。
離婚ですね。
小柳ルミ子と大澄賢也の直接の離婚理由は大澄の浮気です。
しかし、そこには悲しい事実があることをご存知ですか?
13歳の年の差もひとつの要因でしょう。
しかし1995年当時、大澄賢也は月々300~400万円稼いでたようですが、小柳ルミ子は「私が休んだらあなたの稼ぎではやっていけない」と話すなど、日常的にモラハラ的な態度だったと言います。
そういう気持ち的な部分で、子宝に恵まれなかった原因だったんだとか。
二人は子供を欲していたことは事実ですが、大澄の精神的疲弊によって成就せず、外へ癒やしを求めてしまったということです。
小柳ルミ子は単純に大澄賢也の浮気が許せず、慰謝料1億円を請求。
大澄は全額支払いを終えたとテレビで報告していますね。
子供が欲しい夫婦の場合、お互いの気持を尊重しながら些細な言葉の中に関係のもつれの原因が出る可能性があることを、二人の離婚から改めて考え直すと良いかもしれないと感じました。
3.小柳ルミ子と大澄賢也はなぜ結婚した?馴れ初めを調査
大澄賢也は小柳ルミ子のバックダンサーとして働いていました。
1988年のディナーショーのリハーサルで初めて小柳は大澄を認識したそうです。
若くて可愛いと思ったんだとか。
一般的には大澄が告白したことになってますが、実は小柳ルミ子がウラでスタッフに手を回し、大澄と二人っきりになるシチュエーションを作っていたようです。
意図的に操作して大澄に告白させたということですね。
すごすぎます。
その年のクリスマスイブに交際スタートし、NHK紅白歌合戦の舞台で大澄賢也がプロポーズ!
翌1989年1月6日に結婚しましたから、付き合ってわずか10日しか経ってません。
多様化時代の現在でも、付き合って10日は早いですよね。
スピード婚の先駆けでした。
こういう軽い感じの結婚でしたが、二人の結婚生活は11年続きました。
実際にはやはり二人にとって辛いものだったようで、お互いに心が通わないと言うか、大澄賢也いわく「自分を見失っていた」ようです。
現在、ふつうにかっこいいおじさんになった大澄賢也に幸せが巡ってきてるようですよ。
偉そうなこと言いましたが大澄賢也ってふつーにかっこいいですもんね。
50歳ですって、奥さん。
— george (@geox5rge) 2016年9月6日
大澄賢也の現在の奥さんは、舞台女優の岡千絵さん。
大澄賢也さんより8歳年下です。
逆に振れた感じですかね。
お幸せに!
4.小柳ルミ子の若い頃の顔画像が美人すぎる
引用先https://aikru.com/item/I-PA000000000002042804
意外ですが、小柳ルミ子は1970年に宝塚音楽学校を首席で卒業したそうです。
その後、宝塚歌劇団に入団したものの、2か月で退団をしました。
イメージと違ったんでしょうか?
その後は女優デビューし、歌手歌手活動もするなどテレビを中心に芸能界で活躍、現在に至るわけですが、この章の冒頭の画像、超絶美人というよりもかなり素朴ですよね。
現在のきらびやかというか、ゴージャスと言うか、装飾の多いイメージの小柳ルミ子とはまったく違います。
どこか沢尻エリカにも似てますね。
あの小柳ルミ子も若い頃は普通に美人だった pic.twitter.com/hOqhHRdXba
— ラジュンbot (@bot94480480) 2018年7月7日
↑これは既に女優デビューした後のものだと思われますが、これは可愛いですね!
今でも大御所として力を持っている理由がわかる気がします。
以上、今回は小柳ルミ子と大澄賢也の離婚理由についてでした。
小柳ルミ子についてきちんと調べたのは今回初めてでしたが、二ヶ月とはいえ宝塚出身だったとは。
しかも宝塚音楽学校を主席で卒業とは、本当に意外でした。
大物になるにはそれぞれに理由がちゃんとあるんですね。
大澄賢也との結婚・離婚ですが、テレビでのイメージはやはり戦略で、稼ぐために一生懸命だったんだなあと感じます。
実際の結婚生活は相当辛かったでしょうね。
でもふたりともまだ若いと思います。
これから楽しく充実した人生を歩んでほしいですね。
最後まで見ていただきありがとうございました。
次の記事もお楽しみに。
では!