天海祐希の本名・出身校は?宝塚時代の伝説とは?彼氏の噂は?

    宝塚歌劇団の元月組男役トップスターで、現在は女優としてドラマや映画・舞台で活躍中の天海祐希さん。

    強く美しくそしてお茶目な雰囲気の天海祐希さんについて調べてみました!
    今回は天海祐希さんの本名や出身校、宝塚時代の伝説、彼氏の噂についてお送り致します。

    もくじ

    天海祐希さんのプロフィール

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    生年月日:1967年8月8日(57才)
    出生地:東京都台東区東上野
    身長:171cm
    血液型:O型
    職業:女優
    活動期間:1987年
    略歴
    1987年 宝塚歌劇団入団 月組配属
    1993年 月組トップスター就任
    1995年 宝塚歌劇団退団、フライングボックスに所属
    2003年 研音に移籍

    天海祐希さんの本名・出身校は?

    天海祐希さんの本名や出身校についてまとめました。

    天海祐希さんの本名や芸名の由来は?

    天海祐希さんは宝塚歌劇団出身ということで、当然芸名なのだろうと察しがつくのですが、では本名は?と思って調べたら、あっさりWikipediaに載っていました(笑)
    本名は、中野祐里(なかの ゆり)さんだそうです。

    愛称は、ゆりちゃん、ゆり、だとか。

    お母様がもともと石原裕次郎さんの大ファンで、天海祐希さんが生まれた時に、裕次郎の「裕」の字を使った名前にしたいと考えたそうですが、字画の関係で「祐」の字になったそうです。

    芸名の「天海祐希」の由来は、お父様と相談して決めたそうで、以下の条件をもとに考えたんだそうです。


    ・漢字4文字であること
    ・本名から一文字と、希望の「希」の字を使うこと
    ・本名の字画数が「強運」と言われていることから、同じ字画数にすること

    そして、「天海祐希」と「木条祐希」のふたつが候補に上がり、男役っぽい「木条祐希」を選ぼうとしたそうですが、宝塚音楽学校の副校長から「(天海の方が)スケールが大きい」とのアドバイスがあり、最終的に「天海祐希」に決めたそうです。

    芸名を決める際にも、お母様の願いで「石原裕」という案もあったそうですが、最終的には本名の「祐」を残す形になりました。

    宝塚歌劇団退団後に、石原プロに入団することも考えたという天海祐希さん、お母様の影響がずいぶんあったみたいですね。

    天海祐希さんの出身校

    天海祐希さんの出身校ですが、小・中学校は地元の台東区立西町小学校台東区立御徒町中学校に通われました。

    中学時代は演劇部に所属、中学2年の時の担任の先生が宝塚のファンで、宝塚入りを勧められたことから、宝塚音楽学校を目指すようになったそうです。

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    そして高校は、菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)に入学されましたが、同時に宝塚の受験準備のために「大滝愛子バレエ・アート」に通われました。

    そして、高校2年生修了の後に宝塚音楽学校に首席で入学されました。

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    「大滝愛子バレエ・アート」というのは、バレエダンサーの大滝愛子氏(2007年に逝去)が開講したバレエ教室で、「休むようなら稽古するな」という厳しい教育方針で、多くのタカラジェンヌを生み出しているスクールです。


    天海祐希さんが通っていらっしゃった当時は阿佐ヶ谷に教室があり、天海祐希さんが阿佐ヶ谷駅で「バレエ・アート、講師大滝愛子 宝塚歌劇団講師」との看板を見て見学に行くと、「とても厳しく、レッスン場には笑い声一つ聞こえなかった」ことから、その水準の高さから、受講を決めたそうです。

    そして、「休むようなら稽古するな」という教えを守り、2年間、一度も休まずに通い続けられました。

    当初は高校1年生が修了した時点で受験をしようと思っていたそうですが、大滝愛子氏から「あなたは今年受験したら合格するけれども、入学してからが大変だから」と言われ、1年後に受験することになったそうです。

    そして、見事首席で合格、試験官としてその場にいた演出家・植田紳爾氏からお母様は「お母さん、よくぞ生んでくださった」と言われたそうです。

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    ちなみに、天海祐希さんが2年生まで在籍した菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)の同窓生には、女優の浅丘ルリ子さんや、プロゴルファーの石川遼選手がいらっしゃいます。

    天海祐希さんの宝塚時代の5つの伝説とは?

    天海祐希さんというと、宝塚時代に5つの伝説を残しているそうです。

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    天海祐希さんの伝説その1:入団1年目にして新人公演の主演に抜擢される

    宝塚歌劇団の新人公演というのは、本公演と同じ演目を、入団1年目~7年目までの新人さん達だけで演じる公演のことだそうです。

    ということは、新人とはいえ、7年間ずっと「新人公演」に出続けるということなんですね。

    7年間の間に、主役や準主役が回ってこない方ももちろんいらっしゃる中、天海祐希さんは入団1年目にして、その年の年末の新人公演「ミー・アンド・マイガール」で主役に抜擢されました。

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    これは宝塚歌劇団の記録として未だ破られていないそうです。

    天海祐希さんの伝説その2:史上最年少でのトップスター昇格

    天海祐希さんは、
    1987年 宝塚歌劇団入団 月組配属
    1993年 月組トップスター就任
    と、7年目(宝塚用語では研7=研究科7年)にして男役のトップスターになられました。

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    男役のトップスターになるには、最低でも10年はかかると言われている中、7年目という異例の早さ、最年少での昇格で、
    天海祐希さん以降、10年目以内に男役トップスターになった生徒はいないそうで、この記録も破られていません

    天海祐希さんが月組のトップスターになった年の新人公演の主役に、天海祐希さんと同期の姿月あさとさんが選ばれたことからしても、天海祐希さんの昇格のスピートがいかに異例かが分かりますね。

    また、天海祐希さんの後任の月組男組トップスターは、3代続けて天海さんよりも先輩だそうですので、本当に飛び級のような離れ業をやってのけたという感じですね。

    天海祐希さんの伝説その3:退団の早さ

    異例のスピードでトップスターにまで上り詰めた天海祐希さんですが、なんとその2年後には退団を発表されました。

    人気絶頂のトップスターの退団ということで、当時のワイドショーなどでかなり話題になったそうです。

    早く辞めてしまう人も中にはいらっしゃいますが、トップスターに就任してから2年で退団というのはやはり異例なことで、通常は5年程度は務めるのが慣例なんだそうです。

    天海祐希さんの伝説その4:宝塚の慣例を破り、羽根を背負わなかった

    宝塚というと、なんとなくイメージするのが、背中に背負った大きな羽ですよね。

    あれは公演の最後のフィナーレでの姿で、トップに近い人ほど大きな羽根を背負うのが通例となっているそうです。

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    なのに、トップスターになった天海祐希さんは、普段の公演のときからかなり小さな羽ばかりを背負っていたそうで、当然周りはもっと小さい羽を背負うことになっていたそうです。

    これは、天海祐希さんの意向で、仰々しい羽を背負うのは嫌だと劇団側に申し入れ、それが通ってしまったということなんだそうで、
    それまで劇団とタカラジェンヌたちの間にあった強大な「越えられない壁」を打ち破るような行為で、たとえトップスターであってもこんな要望は普通通らないんだとか。

    それを天海祐希さんは通してしまったのですが、これもやはり「天海祐希さんだから許された」異例中の異例なことなのだそうです。

    そしてついには、自身の退団前の最後の公演では、完全に羽をなくしてしまったそうで、このような例は他にない天海祐希さんの伝説なんだそうです。

    天海祐希さんの伝説その5:ファンとの距離の取り方

    天海祐希さんが退団を決め、退団前の最後の公演のフィナーレでの一幕で、通常は幕が降りるまで観客席に向かって手を振るところ、天海祐希さんはそれまで一緒に過ごした仲間に向かって手を振り続けたそうです。

    これもまた、劇団の通例を打ち破るものであり、自分自身が誰に対して一番気持ちを伝えたいかを天海祐希さんだからこそ押し通せた例だと言われています。

    だからといってファンの方々をないがしろにしているわけではありません。

    通常タカラジェンヌのファンクラブの中には格付けがあって、幹部の人と、ファンクラブに入りたての人とは受けられる特典が違ったりするらしいのですが、天海祐希さんはファン全員に分け隔てなく、ワイングラスをプレゼントしたそうです。

    これもまた、自分の気持ちに素直に、慣例にとらわれない天海祐希さんの行動力と影響力が、慣例を打ち破った伝説とされています。

    また、ファンの融資で開かれる「お茶会」という行事では、通常のタカラジェンヌは、お人形さんのようにファンに囲まれておしゃべりをしたりいじられたり、という感じなんだそうですが、天海祐希さんの場合はファンの皆さん相手にガチトークを繰り広げ、時には説教をすることもあったそうです。

    このように、数々の伝説を打ち立ててわずか9年で宝塚を去った天海祐希さん。

    テレビで見るイメージからしても、明るく堂々として気持ちのよい性格をしている印象ですが、ガチガチの縦社会・女社会の宝塚にあっても、自分を見失うことなく天海祐希さんらしくあり続けていらっしゃったんですね。

    そしてそれができたのも、宝塚が認めざるを得ないほどの資質とスター性を兼ね揃えていたからなんでしょうね。

    天海祐希さんの彼氏や結婚の噂は?

    天海祐希さんは以前、歌手で俳優の吉川晃司さんとの熱愛が報道されたことがありました。

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    吉川晃司さんが、天海祐希さん出演の舞台「阿修羅城の瞳」(2003年)を観劇し、そのお礼にと天海祐希さんが吉川晃司さんのコンサートを観に行ったことから仲良くなり、その後正式に交際がスタートしたそうです。

    当時、天海祐希さんはマスコミに堂々と吉川晃司さんとの交際宣言をし、吉川晃司さんの性格について「まっすぐで純粋で侍のような人です」と表現、お似合いの二人ということで、そのまま結婚するのでは?と思われていました。

    しかし、2年半の交際ののち、おふたりは破局、吉川晃司さんは2011年6月1日に一般人女性と結婚され、おふたりの仲は完全に終わってしまいました。

    破局の理由ははっきりとはわかっていませんが、天海祐希さんはテレビなどで
    「結婚しても別々に住むならいい」
    「家に男は二人要らない」
    といった内容の発言をしておられ、
    吉川晃司さんも天海祐希さんと交際中には
    「結婚すると自分のなかのナイフが錆びてしまいそう」
    と、お互いに結婚には消極的な発言をされていました。

    似た者同士でお似合いのおふたりですが、一緒に住んで家庭くさくなってしまいたくない、お互いにかっこよくあり続けたいという思いが強すぎたのかな?と思ってしまいます。

    吉川晃司さんはその後結婚されるわけですが、「別に尖ったナイフでなくてもいい」と思えるようなお相手に出会って丸くなられたんじゃないかな?と思います。

    その後天海祐希さんには信ぴょう性のある熱愛報道は出ていませんが、女性として輝き続ける天海祐希さんを口説き落とせる男性がいるとしたらどんな方か、見てみたい気もしますよね。


    以上、
    ・天海祐希さんのプロフィール
    ・天海祐希さんの本名・出身校は?
    ・天海祐希さんの宝塚時代の5つの伝説とは?
    ・天海祐希さんの彼氏や結婚の噂は?
    という内容でお送りしました。

    CMやドラマ・映画でオーラのような存在感を放っていらっしゃる天海祐希さん。

    これからもいろんな役を演じて欲しいですね。

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