日本のシャンソン界の先駆者であり、「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんをご存知でしょうか?NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」で登場する人物の1人として、選ばれていたようですね。
そこで今回は「淡谷のり子」若い頃の経歴や、ブギウギ・茨田りつ子のモデル・笠置シヅ子との関係を調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
「淡谷のり子」若い頃の経歴は?
「淡谷のり子」若い頃の経歴は、以下のとおりです。
- 青森高等女学校を中退
- 上京して東洋音楽学校へ入学
- 実家が貧しくて休学
- 10年にひとりのソプラノと絶賛
- ブルースの女王と呼ばれる
淡谷のり子さんが若い頃の経歴を紹介するので、1つずつ見ていきましょう。
青森高等女学校を中退
1923年に青森県立青森高等女学校を中退したことは、淡谷のり子が若い頃の経歴です。原因としては1910年・淡谷さんが3歳のときに、実家の豪商「大五阿波屋」が火事で焼失したことが挙げられます。
父の彦蔵さんは再建を目指しますが放蕩癖が災いし、淡谷さんが10代の頃に実家が破産。愛想をつかした母・みねさんは、淡谷さんと妹のとし子さんを連れて上京しています。
上京して東洋音楽学校へ入学
「淡谷のり子」若い頃の経歴は、10代で上京して東洋音楽学校へ入学したことです。上京前の淡谷さんは、作家か新聞記者になりたかったようですが、母・みねさんの影響で音楽の道に進みます。
16歳で音楽教師になることを決意し、東洋音楽学校のピアノ科に入学。先生から勧められた声楽科への編入試験に合格し、クラシックの基礎を学んでオペラ歌手を目指します。
実家が貧しくて休学
実家が貧しくて1年間休学したことは、淡谷のり子が若い頃の経歴であり、働くことを決意したようです。働くことにした理由の1つとして、妹・とし子さんの眼疾が挙げられます。妹が失明する恐れがあったので治療費や家族の生活費、復学用の授業料を稼いだようです。
淡谷さんは「霧島のぶ子」の名前で、報酬がよい仕事である絵画の裸婦モデルを務めました。
10年にひとりのソプラノと絶賛
淡谷のり子が「10年にひとりのソプラノ」と絶賛されたことは、若い頃の経歴です。淡谷さんが絶賛されたオール日本新人演奏会は、自身が東洋音楽学校の声楽科を卒業した春に開催され、母校代表で歌ったとされています。
1926年に無事復学した淡谷さんは、音階通りに声が出せずに苦戦しましたが、高音域の歌唱を体得したようです。淡谷さんの努力が実り、1929年に東洋音楽学校の声楽科を首席で卒業しています。
ブルースの女王と呼ばれる
淡谷のり子が若い頃の経歴は「別れのブルース」「雨のブルース」などをヒットさせ、ブルースの女王と呼ばれたことです。1930年に「久慈浜音頭」でデビューした淡谷さんは、「ドンニャ・マリキータ」のヒットにより日本のシャンソン歌手第1号になりました。
淡谷さんは東洋音楽学校を卒業したあと母校に残り、研究科として演奏会でクラシック歌手の活動を行います。研究科では生計が立たず、家計を支えるためにブルースを歌ったようです。
ブギの女王・笠置シヅ子について知りたい場合は、是非こちらを確認してみてください。
ブギウギ・茨田りつ子のモデルは誰?笠置シヅ子との関係は?
ドラマ「ブギウギ」に登場する、りつ子と鈴子について気になりませんか?2人の間にどんな関係があるのかを探ってみましょう。茨田りつ子のモデルや、笠置シヅ子との関係性について紹介します。
茨田りつ子のモデル・笠置シヅ子との関係
ドラマ「ブギウギ」茨田りつ子のモデルは淡谷のり子さんで、笠置シヅ子さん(鈴子)とはライバルであり支え合う関係。ドラマでりつ子が歌う「別れのブルース」をラジオで聞いたことにより、鈴子は感銘を受けて憧れます。
実際に淡谷さんと笠置さんは、服部良一さんに師事されており、ライバル同士だったようです。2人の歌唱スタイルは「静かに立って歌う淡谷さん」「動いて元気に歌う笠置さん」と、対照的でした。淡谷さんは笠置さんに、容赦ない批評をすることがあったと言われています。
茨田りつ子と笠置シヅ子・プライベートでの関係
茨田りつ子と笠置シヅ子・プライベートでの関係は、友人同士として交流を重ねたようです。笠置さんは1947年に、未婚の母として娘のエイ子さんを出産。一方で淡谷さんも同じく1938年に娘を出産しています。
笠置さんがエイ子さんを出産する前に父親が他界しており、淡谷さんも娘の父に関して子どもができたことを知らずに中国で亡くなったと語ったようです。似た境遇の2人だったからこそ、分かり合える部分が多かったと推測できます。淡谷さんは笠置さんの自宅へ行くたび、母親に感謝するよう、エイ子さんに伝えていたそうです。
まとめ
今回の記事では「淡谷のり子」若い頃の経歴を中心に、ブギウギ・茨田りつ子のモデル・笠置シヅ子との関係を、ご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
淡谷のり子さんが若い頃の経歴に驚きましたが、さまざまな人生を歩んでいたようですね。ライバル関係だった笠置シヅ子さんとの関係にも注目し、ドラマを楽しみましょう!