月9ドラマ『ランチの女王』などで知られる、女優の竹内結子さんの若い時についてご紹介します。竹内結子さんは長らく芸能界で活躍していましたが、2020年9月27日に急逝したことが報道されて世間に衝撃を与えましたね。そこで今回は、竹内結子さんの生い立ちが壮絶だったことや若い時の経歴・学歴、旦那や家族構成について調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
竹内結子の生い立ちが壮絶!
竹内結子さんの生い立ちは壮絶なものでした。母親が病気になったり、両親が離婚したりと、幼い竹内結子さんの人生を大きく変える出来事に見舞われた幼少期だったようです。両親の離婚、母親の死去、そして父親の再婚を経験している竹内結子さん。新しい母親と、母親の連れ子である3人の男の子との生活がスタートしました。しかし、血のつながらない家族との生活は心地よいものではありませんでした。竹内結子さんは、幼少期から心身ともに苦労の絶えない人生だったようです。
厳しかった父親
竹内結子さんは3姉妹の末っ子として育ちました。末っ子というと両親から甘やかされるようなイメージがあるかもしれませんが、竹内結子さんの父親は厳しい人だったそうです。子どもに手を上げるのはもちろん、典型的な昭和の父親という考え方を持っていたそうですよ。しかし、それでも幼少期の竹内結子さんはおてんばで、クラスのみんなを笑わせるのが得意な子どもでした。
母親の病気発覚と離婚
竹内結子さんの母親は、竹内結子さんが中学生のときに病気に侵されてしまいます。さらに、母親の病気が発覚したあとに両親が離婚。離婚後も両親とともに一緒に暮らし、竹内結子さんたち姉妹が母親の看病をしていたそうです。料理が得意で愛情に満ちていたという母親が衰弱していく姿を、竹内結子さんたちは目の前で見届けなければならなかったのですね。そして、竹内結子さんが14歳のときに母親は亡くなってしまいます。
おばあちゃんが心の支えに
竹内結子さんにとって心の支えは、母方の祖母だったそうです。厳しい父親のかたわら、竹内結子さんをかわいがってくれたのは祖母でした。竹内結子さんは学校が終わるとすぐに祖母の家に行き、夕飯の支度を手伝い、一緒に夕飯を食べてから自宅に帰っていたそうです。竹内結子さんは波乱万丈な幼少期を過ごす中で、祖母からのありったけの愛情を受けていたのですね。
父親の再婚で家族との間に亀裂が
竹内結子さんの父親は、自身の妻が病気で亡くなって1年後に再婚しています。再婚相手の女性には3人の男の子がおり、竹内結子さんたち3姉妹と合わせると6人きょうだいになったそうです。思春期だった竹内さんにとって、知らない男の子たちとの共同生活は耐え難いものだったのではないでしょうか。再婚相手のことは「父が必要とした女の人」としか思っていなかったそうです。一方で、父親には好きに生きてほしいと思っていた部分もあり、ますます祖母の家に寄り付くようになったそうですよ。
参考:週刊女性プライム
「戻る場所なんてない」芸能生活の覚悟も
AERAによると、竹内結子さんは芸能生活を続けるにあたって「複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」と語ったことがあったそうです。幼くして両親の離婚、母親の死去、そして父親の再婚に連れ子との同居という経験をし、自分のことをお荷物だと思っていたという竹内結子さん。その心の内側には「消えてなくなりたい」という思いが常についてまわっていたかもしれません。
竹内結子の若い時の経歴や学歴
竹内結子さんの若い時の経歴や学歴について見てみましょう。竹内結子さんは中学生を卒業してすぐにスカウトされ、芸能界に入っています。このとき、竹内さんの母親が病気で亡くなってから1年後のことだったそうです。竹内さんはスカウトを受け、自分が必要とされていると嬉しく思ったことを語っています。現に、竹内さんはスカウトされて入った事務所に、亡くなるまでずっと所属していたそうです。
竹内結子の経歴
竹内結子さんの若い時の経歴は、以下のとおりです。
- 高校1年:テレビドラマ『新・木曜の怪談』で女優デビュー
- 高校2年:映画『イノセントワールド』で初ヒロイン
- 高校3年:映画『リング』で高校生役を熱演
- 1999年:NHKの朝ドラ『あすか』のヒロイン
- 2002年:月9ドラマ『ランチの女王』で初主演
- 2010年:スペシャルドラマ『ストロベリーナイト』で主演
NHKの朝ドラ『あすか』のヒロインを演じ、大ブレイクした竹内さん。映画『黄泉がえり』や『いま、会いにゆきます』などに出演し、2005年『春の雪』では日本アカデミー賞の優秀女優賞を3年連続で受賞しています。『いま、会いにゆきます』では、最初の夫である中村獅童さんと出会い、結婚するきっかけにもなりましたね。
竹内結子の学歴
竹内結子さんの学歴は、以下のとおりです。
- 浦和市立南浦和小学校 卒業
- 浦和市立白幡中学校 卒業
- 埼玉県立新座北高校 卒業
埼玉県浦和市出身の竹内さんは、中学3年生の時にスカウトされ芸能界デビューしました。高校時代は、再婚した父親とその相手、血のつながらない兄弟との関係に悩んでいた時期ということもあり、さらに仕事に打ち込むようになったそう。竹内さんは大学へは進学せずに、芸能活動に専念します。デビュー当初はCMやモデルなどの仕事に取り組み、オーディションで落選しても前向きに捉えていたそうです。
竹内結子の旦那や家族構成
竹内結子さんには2度の結婚歴があり、2人のお子さんがいました。複雑な家庭で育ち、気苦労が多かったとされる竹内さんですが、結婚され幸せな生活を送っていた時期もあったようです。実に残念なことに、幼い子どもたちを残して自ら死を選ぶという結果になってしまいました。どのような方と結婚し、どのような生活をしていたのか紹介しましょう。
竹内結子の旦那①第一子の父親・中村獅童
竹内結子さんの第一子の父親は、歌舞伎役者の中村獅童さんです。2人の出会いは2004年公開の映画『いま、会いにゆきます』の共演であり、2005年6月にできちゃった結婚をしています。2005年11月に誕生した第一子の長男は、歌舞伎役者を継ぐことを想定して日本的な名前である「太郎」と名付けられたという情報があります。竹内結子さんと中村獅童さんは2008年2月に離婚し、第一子は竹内さんに引き取られました。
竹内結子の旦那②第二子の父親・中林大樹
俳優の中林大樹さんは、竹内結子さんの第二子の父親です。2019年2月に中林さんと再婚した竹内さんは、長男と3人の生活をスタート。2020年1月には第二子の次男を出産しましたが、1年も経たない2020年9月27日に竹内結子さんは急逝しています。
竹内さんが亡くなったため、長男の実父である中村獅童さんから子どもを引き取るとの申し出があったようです。中村さんからの申し出を断った中林さんは、2人の息子を育て上げることを決意し、俳優業をセーブして子育てに奮闘しています。
竹内結子の死は2人目の旦那が発見
竹内結子さんが自宅でぐったりしているのを発見したのは、2人目の旦那である中林大樹さんでした。このとき、竹内結子さんはクローゼットの中で首をつっていたものとみられ、遺書などは見つかっていないそうです。中林さんが竹内さんを発見したのは午前2時ごろだったそうで、2人の子どもはぐっすり眠っていたものとみられます。竹内さんは第2子を出産し、仕事をセーブしながら子育てに励んでいる真っ最中でした。
まとめ
今回の記事では、竹内結子さんの若い時や生い立ちが壮絶だったことや若い頃の経歴・学歴を中心に、旦那や家族構成についてご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?竹内結子さんの生い立ちが壮絶だったことに驚きましたが、女優として大活躍されましたね。竹内結子さんの亡き後も、3人家族として暮らす中林さん一家を応援しましょう!








