登山家の栗城史多さんが2018年5月21日、登山中のエベレストで亡くなったというニュースが。
この記事では、栗城史多さんの経歴や指9本が東証となってしまった際の画像や治療の経緯等を紹介しています。
また、一部で嘘つきと呼ばれている理由にも触れてみました。
栗城史多の経歴は?
栗城史多プロフィール
名前:栗城史多(くりき のぶかず)
生年月日:1982年6月9日(享年35歳)
出身:北海道瀬棚郡今金町
出身高校:北海道檜山北高等学校
所属:株式会社たお(代表取締役)
書籍:
登山の経歴を見てみましょう。
・2002年 中山峠から小樽市の銭函
・2004年5月〜6月 マッキンリー登頂
・2005年1月 アコンカグア登頂
・2005年6月 エルブルース登頂
・2005年10月 キリマンジャロ登頂
・2006年10月 カルステンツ・ピラミッド登頂
・2007年5月 チョ・オユー登頂&スキー滑降
・2007年12月 ビンソンマシフ登頂
・2008年10月 マナスル登頂(非公式)
・2009年5月 ダウラギリ登頂
・2009年9月 チョモランマ北稜北壁メスナールート失敗
・2010年5月 アンナプルナ失敗
・2010年8月 エベレスト南東稜ノーマルルート失敗
・2011年5月 シシャパンマ失敗
・2011年8月 エベレスト南東稜ノーマルルート失敗
・2012年5月 シシャパンマ失敗
・2012年8月 エベレスト西稜ルート失敗
・2014年7月 ブロード・ピーク登頂
・2015年8月 エベレストノーマルルート失敗
・2016年5月 アンナプルナ失敗
・2016年 エベレスト失敗
・2017年 エベレストネパール側ノーマルルート失敗
かなりの数の記録がありますね。
2009年のエベレスト初挑戦以降、かなり失敗が多くてその壮絶な登山の様子が想像できます。
栗城史多の指9本凍傷の画像が凄すぎる
栗城史多さんといえば2012年に、Facebookで指が9本凍傷になってしまった画像がシェアされていました。
僕もその画像を見て衝撃を受けたのを覚えています。
出典:https://matome.naver.jp/
それ以来、気になる存在となっていました。
栗城さんは指の再生のために日本やアメリカ、インドで最先端再生治療を受けたそうです。
しかし、かなり長い間頑張りましたが、指は再生しませんでした。
凍傷で真っ黒になってしまうほど傷んだ場合、一般的には一刻も早く切断するそうです。
感染症にかかって命にかかわる事態になることを防ぐためですね。
ですが栗城さんは指の再生のためにギリギリまで切断せずにとっておきました。
指先が黒く干からびてミイラのようになってしまった画像も残されていますね。
出典:https://matome.naver.jp/
これもかなり衝撃です。
もはや血が通わなくなりどんどん知人で炭のように真っ黒です。
これではもう再生は無理なように見えますね。
ですが本人としてはまだ奇跡を信じていたようです。
結果的には切断となってしまいました。
ギリギリまで諦めずにとっておくのは命の危険もあるのに勇気ありますよね。
そういうところが登山家としての強さだったのかもしれません。
栗城史多が嘘つきと呼ばれる理由は?
栗城史多さんは一部で「嘘つき」と呼ばれているようです。
その理由は、「単独無酸素登頂」という本人の流儀についてのようですね。
単独というのは誰の力も借りずに登るという意味であり、他の登山家が登ったルートを辿る登山手法が独力とは言えないのでは?
という意見が出ているというのです。
しかし、実際に登山の現場は過酷で、使えるものはその場にあるものだけなんです。
登山家は世界に無数にいますから、誰も登ったことがないルートを探すのは至難の業だとも言われてます。
ですから、嘘つきなんて呼ぶのはちょっとお門違いではないでしょうか。
もう一つは、2008年10月のマナスル登山です。
この時は本人は単独無酸素登頂したと話していますが、記録が残っていないために非公式になっているんですよね。
このことも嘘つき呼ばわりに拍車をかけていると言われています。
ですが、個人的には本当に登っているんじゃないかと思います。
嘘つく必要がないですし、実際に何度も「失敗」している方ですから、失敗が恥ずかしいから隠すなんてこと無いですよね。
なので、嘘つきと呼ばれる理由は理解できますが、共感はできないというのが正直な所です。
登頂前に残した動画
栗城史多さんはエベレスト登頂挑戦前に企画でお世話になっているリクルートに向けてビデオレターを残しています。
https://www.facebook.com/recruit.jp/videos/2104095119619720/
困難に挑戦している多くの人向けに、希望となるような登山をしたいという気持ちが詰まった感動的な動画です。
しかし、生きて帰ることを約束した本人が下山中に亡くなるという無念な結果となってしまいました。
非常に残念ですね。
以上今回は栗城史多さんの経歴や指の凍傷の画像の紹介でした。
エベレスト登頂の夢が叶わず無念な結果に、周囲も本当に残念でしょうね。
非常に悲しい出来事となってしまいました。
ですが、栗城史多さんの残した勇気を記した書籍など、社会に与える影響は大きいものだったと言われています。
ご冥福をお祈りします。
今回はここまでです。
最後まで見ていただきありがとうございました。
では!