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樫尾和雄カシオ計算機会長の経歴や死因は?年収と兄や息子との絶縁関係についても

樫尾和雄さんは世界的大企業・カシオ計算機の創業者の一人で、前社長です。

2015年からは会長に就任して業務に関わっていました。

2016年6月19日に亡くなったという報道がありましたね。

この記事では、樫尾和雄さんの経歴や死因、年収や兄弟・息子等について詳しく紹介しています。

もくじ

1.樫尾和雄プロフィールと経歴

本名樫尾和雄(かしお かずお)
生年月日1929年1月9日(95歳)
出身地東京都

樫尾和雄さんはカシオ計算機の創業者の一人で、兄の樫尾忠雄さんの後を継いで27年間社長を務めました。

元々カシオ計算機は長男の樫尾忠雄さんと樫尾和雄を含む4人の兄弟で創業。

和雄氏は研究者肌の他の3人の兄弟とは違い、営業基質で行動派でした。

判断力に優れ、トップダウンで様々な方針を決定し、1970年代のヒット商品「カシオミニ」の開発にあっては電卓の常識であった10桁表示を6桁に変更してコストを下げたことで一般消費者の手の届く価格を実現、大ヒットさせて莫大な利益をもたらしたんです。

一方で世界的な腕時計ブランドとなったG-SHOCKの開発においては担当チーフの増田裕一氏にデザイン・設計を一任しました。

部下の才能を見る目もあったんですね。

樫尾一族ではない役員以下一般社員たちにとって樫尾和雄さんは雲の上の存在でしたが、2007年をピークに業績は悪化していきました。

携帯電話事業の不調が主な原因だったと言われています。

低迷中にも強気姿勢は変わらず、それが投資家からの厳しいチェックを受けて大きなピンチを迎えたことも。

息子であり現社長の樫尾和宏さんは、こうした和雄さんの経営手法を否定して後任社長となってからは従来のカシオ計算機のよさを取り戻すために方向転換をしたようです。

創業当時はゼロから1を生み出す精神で大きく躍進してきたカシオ計算機。

低迷期に過剰な利益追求姿勢と先行きを見誤ったことを反省して品質改善に取り組み現在は業績回復をしています。

2015年6月の社長交代後、樫尾和雄さんは会長という立場になりましたが、現場では依然率先して開発業務にあたり、指揮を取っていたんだとか。

しかし近年は高齢のため現場に出ることも減ってきていたようですね。

2.樫尾和雄の死因は?

樫尾和雄さんは2018年6月19日、東京都内の病院で亡くなりました。

死因は誤嚥性肺炎だったということです。

詳細についてははっきりしていませんが、近年は高齢のためか以前のように活発に動き回ることは無かったと言われていますね。

世界的な大企業となったカシオ計算機ですが、樫尾和雄さんの功績なしには勝たれません。

ご冥福をお祈りします。

3.樫尾和雄の年収はいくらだったのか?

樫尾和雄さんの年収ですが、2015年のデータによると基本報酬と賞与で9千万円、役員報酬の総額は12億3300万円というとんでもない金額となっていたようです。

恐ろしいですね。

予想では1億円くらいかな?と考えていましたが、一桁違いました。

因みに2015年の役員報酬総額第2位にランクインしています。

その時の4位は当時の前副社長・樫尾幸雄さんでした。

4.樫尾和雄と兄や息子等家族とは絶縁関係だった?

樫尾和雄さんの兄はカシオ計算機創業者・樫尾忠雄さんです。

忠雄さんは1993年に亡くなっています。

日常生活のことは分かりませんが、4人の兄弟が力を合わせてカシオ計算機を作り、世界的大企業に成長させたことを考えると、仲が悪かったとは考えられません。

チームワークが良かったことが成功の原因だったと言われています。

息子は現在のカシオ計算機社長の樫尾和宏さん。

和宏さんは先代社長の父・樫尾和雄さんの経営手法を否定したことで有名ですが、仲が悪かったというわけではないようです。

和雄さんは厳しい人で、営業目標を過剰に高く設定していたと言われています。

社長交代後に息子の和宏さんが打ち出した目標に対して、「私なら2倍以上やれる」と豪語したんだとか。

そういう経緯を知ると、仲が悪かったんじゃないか?と思いがちですが、実際には絶縁状態だったということは無く、詳しいことはわかりませんがそれなりに家族の拘留はあったようですよ。

孤立して寂しい最期だったわけではないということで、安心しました。


以上、今回はカシオ計算機元社長で創業者の一人、樫尾和雄さんの訃報にふれての内容でした。

今後は息子さんの樫尾和宏社長が新しいカシオ計算機を率いていきます。

また消費者の感動するような商品を夜に送り出していってほしいですね。

最後まで見ていただきありがとうございました。

次の記事もお楽しみに。

では!

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