モーニングショーやABEMA Primeに出演する安部敏樹さんを、ご存じでしょうか?学習院や東大などの輝かしい学歴があるため、気になっている方もいるでしょうね。
そこで今回は、安部敏樹の生い立ちが壮絶であることや経歴について調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
安部敏樹の生い立ちが壮絶?
安部敏樹の生い立ちが壮絶であった内容は、以下のとおりです。
- 幼少期から小学校時代
- 中学校時代
- 高校時代
- 東大合格
壮絶であるといわれる安部敏樹の生い立ちを1つずつ見ていきましょう。
幼少期から小学校時代
幼少期の安部敏樹さんは3歳~4歳頃に横浜駅で迷子になりましたが、徒歩で40分程かけて自宅に帰ったそうです。誘拐や事故などのトラブルに巻き込まれることはなく、強運の持ち主であるといえます。
その後、横浜国立大学附属小学校へ入学した安部敏樹さん。小学校時代は親に甘えた記憶がないようです。実際には甘えていたのかもしれませんが、安部敏樹さん自身の記憶に残っていないことから気持ちが満たされていなかった可能性があります。その反動からか、小学校高学年になると学校へ行かない日が出てきたようです。
中学校時代
小学校からそのまま横浜国立大学附属中学校へ進学した安部敏樹さんは、中学2年の頃から不登校になります。思春期に入って両親との関係が悪くなり、14歳のときに家庭内暴力で家を追い出されたそうです。
居場所を失った安部敏樹さんは祖父や親戚、友人の家などを転々として暮らし始めます。髪の毛をオレンジ色に染め、時には路上生活をしたり横浜駅前でたむろしたりして、生活は荒れていました。
高校時代
安部敏樹さんは中学卒業後、祖母にサポートされて学習院高等科へ進学します。中学校時代は不登校でしたが学習院高等科2年の頃には学校へ通うようになった安部敏樹さん。成績は伸び悩んでおり、進学時は「仮進級」の状態でした。
大学進学を希望していた安部敏樹さんですが授業態度が悪く、成績は学年最下位の201位で欠席や遅刻も多かったことから、エスカレーターで大学進学は無理といわれます。
高校3年の5月には、クラスメイトが立ち上げた「ドラゴン桜プロジェクト」に参加して東大を目指すことになったそうです。
東大合格
ドラゴン桜プロジェクトに参加したことが安部敏樹さんの転機となり、友人と共に勉強したり予備校に通ったりします。その年の東大受験は不合格でしたが、横浜国立大学に合格したことから1年間通学しつつ東大合格を目指したそうです。翌年には東京大学文科Ⅱ類に見事合格し、2007年に入学を果たしています。
安部敏樹さんはその後、理系に転向して教養学部広域科学科を卒業。2009年東京大学大学院総合文化研究科修士課程を経て、博士課程に進みます。主に複雑系を専門に研究活動を行い、在学中は東大の講師としての経験も得たそうです。
安部敏樹の経歴を調査
安部敏樹さんの経歴は、以下のとおりです。
- 2009年に学生団体リディラバを設立する(東大在学中)
- 2012年に学生団体リディラバから一般社団法人リディラバに法人化する
- 2013年に株式会社Ridiloverの事業を開始する
- 2017年にアメリカのフォーブス「Forbes 30 Under 30 Asia」に選出される
- 2018年に報道番組の出演が増加する
19歳〜24歳の大学時代にマグロ漁師をしてオーストラリアの海に潜っており、仕事で得た収入はリディラバの資金にしています。
まとめ
今回の記事では、安部敏樹の生い立ちが壮絶であることを中心に経歴をご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
安部敏樹さんが14歳のときに家庭内暴力で家を追い出されていたことに驚きましたが、東大合格を見事に果たしたようですね。学生団体の設立やマグロ漁業など、さまざまな経歴がある安部敏樹さんの今後の活躍に期待しましょう!