スカルノ元大統領の第3夫人である、デヴィ夫人を知っていますか?若い頃が美しく、一体どのような活動をしてきた人物なのか、気になっている方も多いでしょう。本記事では、若い頃が美しすぎるデヴィ夫人の経歴や「東洋の真珠」と呼ばれた理由を紹介しています。詳しい内容が知りたい場合は、この記事のデヴィ夫人の若さを保つ秘訣とは?を是非参考にしてみてください。
デヴィ夫人 若い頃が美しすぎる!経歴を紹介
デヴィ夫人 若い頃が美しすぎる!経歴は、以下のとおりです。
- 10代
- 20代
- 30代
- 40代
- 50代
年代別にデヴィ夫人の経歴を調査しましたので、1つずつ見ていきましょう。
10代
デヴィ夫人・10代の経歴は、以下のとおりです。
- 1955年(15歳):定時制高校に進学し、千代田生命保険に就職
- 1955年(15歳):新東宝制作の映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」にエキストラ出演
- 1956年(16歳):父親が亡くなり、家計が苦しくなったため高校を中退
- 1957年(17歳):赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で勤務
- 1959年(19歳):インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」の名目で、スカルノ初代大統領の元に就く
15歳で父親を亡くしたデヴィ夫人。定時制の高校に通いながら、家計の維持と弟の大学費用を稼ぐために働いたそうです。
20代
デヴィ夫人・20代の経歴は、以下のとおりです。
- 1962年(22歳):スカルノと結婚し、4人夫人の内の第3夫人となる
- 1962年(22歳):母親がマスコミの取材によるストレスで死去し、弟が自宅アパートで自殺
- 1965年(25歳):軍事クーデターでスカルノ大統領が失脚したため、デヴィ夫人避難
- 1967年(27歳):日本に戻り、第一子・カリナを出産
- 1967年(27歳):出産後にフランスへ亡命
19歳でインドネシアに渡ったデヴィ夫人は、数年間スカルノ大統領の愛人でしたが、22歳で正式に結婚。27歳の時に日本で第一子を出産後、フランスへ亡命します。
30代
デヴィ夫人・20代の経歴は、以下のとおりです。
- 1970年(30歳):大統領危篤の知らせを受けたデヴィ夫人はインドネシアへ向かう
※大統領と娘の対面は叶わなかった
- 1970年(30歳):スカルノ大統領が死去し、のちに第3夫人としての遺産分与が行 われる
- 1970年代:芸能活動を開始し、日本でタレントとしても活躍
- 1974年(34歳):雑誌「GORO」の創刊記念号でヌード写真を披露
- 1974年(34歳):著書「パリからの手紙―世界に生きる女の華麗な視線」を出版
- 1978年(38歳):著書「デヴィ・スカルノ自伝」を出版
芸能や著書の出版など、幅広い分野で積極的に活動しています。
40代
デヴィ夫人・40代の経歴は、以下のとおりです。
- 1979年~1985年:クイズ番組「アイ・アイゲーム」にレギュラー出演
- 1980年(40歳):インドネシアで石油関連事業を興す
- 1980年(40歳):石油ガスのプラントを建設
40歳でインドネシアに戻り、スカルノ大統領の遺産を相続したデヴィ夫人。不動産や石油関連事業を手掛けました。フランス語を習得するために本を読み、専門的なことは人から教わり猛勉強しました。
50代
デヴィ夫人・50代の経歴は、以下のとおりです。
- 1991年(51歳):アメリカ・ニューヨークに移住
- 1992年(52歳):傷害罪で逮捕され、禁固60日・罰金700ドルの実刑判決を受けて 34日間刑務所に収監される
- 1993年(53歳):ヘアヌード写真集を出版
- 1997年~2000年:バラエティ番組「快傑熟女!心配ご無用」にパネラーとして出演
- 1999年(59歳):著書「愛をつなぐ」を出版
1992年に傷害罪で逮捕されたデヴィ夫人。アメリカコロラド州で第4代フィリピン大統領の孫娘に侮辱を受け、激怒してシャンパングラスで顔面を殴打したそうです。大統領の孫娘は、顔に37針縫う大ケガをしています。
デヴィ夫人「東洋の真珠」と呼ばれた理由とは?
スカルノ大統領が終身大統領の身分をはく奪され、デヴィ夫人は27歳のときに日本で第一子を出産した後フランスへ亡命しています。1970年に大統領危篤の知らせを受けてインドネシアへ向かいますが、娘を対面させることはできませんでした。デヴィ夫人は”大統領夫人”という地位や財力、若さや美しさを持っており、ただ1人の東洋人だったことから「東洋の真珠」と呼ばれます。パリの社交界はデヴィ夫人をレッドカーペットで迎え、人々から愛されたようです。
デヴィ夫人の若さを保つ秘訣とは?
現在83歳であるデヴィ夫人の若さを保つ秘訣は、以下のとおりです。
- 家での食事は豆・ごま・わかめ・野菜・魚・しいたけ・イモを中心に食べる
- 糖質をなるべくカットする
- コルセットでウエストを引き締め、体を甘やかすニットは着用しない
- ダンス・スキー・スキューバダイビングなどを楽しむ
- 気持ちを若く保つ
デヴィ夫人は、1日に10回感動することが大切であることを語っています。綺麗な花を見たり好きな音楽を聴いたりすることで感動すれば、心が高揚してリンパやホルモンの働きが活性化されるそうです。
まとめ
若い頃が美しすぎるデヴィ夫人の経歴や「東洋の真珠」と呼ばれた理由、若さを保つ秘訣について紹介しました。今回の記事では、デヴィ夫人 若い頃の経歴を中心に「東洋の真珠」と呼ばれた理由や若さを保つ秘訣をご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?デヴィ夫人が日本で第一子を出産した後にフランスへ亡命していたことに驚きましたが、どんな境遇でも前向きに生きるデヴィ夫人の姿に素晴らしさを感じますね。現在83歳になっても若々しいデヴィ夫人の、これからの活躍に期待しましょう!