宮沢りえさんの若い頃が美しく、大活躍していたことをご存知でしょうか?50代になった現在でも映画や舞台・CMで活躍し続けているため、注目している人も多いようですね。
そこで今回は、宮沢りえの若い頃や母のプロデュース力がすごかったことについて調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
宮沢りえの若い頃を徹底調査!
宮沢りえの若い頃を徹底調査!に関する内容は、以下のとおりです。
- 10代
- 20代
- 30代
- 40代
年齢別に宮沢りえさんの活躍をまとめていますので、1つずつ見ていきましょう。
10代
10代だった宮沢りえの若い頃の活動は、以下のとおりです。
- 14歳:CM「三井のリハウス」出演
- 16歳:カレンダー「ふんどしカレンダー」 発売
- 18歳:写真集「Santa Fe」発売
- 19歳:貴花田と婚約発表会見(後に破局)
14歳の宮沢りえがブレイクするきっかけになったCM「三井のリハウス」に出演。16歳で自身がふんどし姿になったカレンダーを発売し、話題になりました。18歳になるとヌー ド写真集 「Santa Fe」を発売して150万部以上のベストセラー。19歳で貴花田と婚約発表会見を行い、約3か月で破局しました。
20代
宮沢りえの若い頃である20代前半は、タカラ缶チューハイのCMが話題になり、セリフ「すったもんだがありました」 が流行語大賞を獲得。婚約や解消などのすったもんだを繰り広げた宮沢りえさんの激やせ姿を、当時のメディアが総出で取り上げたようです。
22歳でゴルフをしている宮沢りえさんの姿は美しいのですが、かなり痩せていて当時の苦労が伝わってきます。
30代
宮沢りえは35歳の若い頃に「できちゃった婚」を発表し、アロハちゃんという名の女児を出産。当時の元夫は、宮沢りえさんに仕事をセーブしてハワイでの家族時間を大切にして欲しかったようです。
結果的にハワイと日本の行き来に限界を感じ、2人は破局しています。2012年に離婚が報道され、調停に4年を要したので正式に別れた時期は2016年です。時間がかかった理由として、元夫が親権を譲らなかったことが挙げられます。離婚後、娘の親権については公表されていませんが宮沢りえさんが持った可能性が高いでしょう。
40代
40代である若い頃の宮沢りえは、2017年に第40回日本アカデミー賞で「湯を沸かすほどの熱い愛」で最優秀主演女優賞を受賞しています。44歳には見えないほど美しく、翌年には森田剛さんとの結婚を発表しました。
宮沢りえさんと森田剛さんは2016年の舞台で共演したことがきっかけで交際。2018年3月に結婚しています。森田さんは宮沢さんのことを、お互いに似ているところがあり、自身にないものを沢山持っている人。宮沢さんは誰であっても関係なく接する森田さんのことを、面白いと感じたことが結婚の理由です。
宮沢りえ・母のプロデュース力がすごかった?
宮沢りえの母・宮澤光子さんのプロデュース力がすごく、豪腕マネジャーとして恐れられていました。プロデューサーとしての実力を発揮し、ステージママの操り人形と批判されながらも「りえブーム」を巻き起こします。
ヘアヌード写真集「Santa Fe」に関しては、当時のビートたけしさんが「娘をヌードにさせないのが親なのに考えられない」と語ったようです。母から操られるように芸能界デビューを果たし、仕事をこなした宮沢りえさん。不自然な親子関係は破綻しますが、宮沢りえさんは母・光子さんのことを悪く言わなかったそうです。
まとめ
今回の記事では宮沢りえの若い頃を中心に、母のプロデュース力がすごかったことについて紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
母の光子さんが、娘のヘアヌード写真集を発売させたことに驚きましたが、宮沢りえさんは親のことを悪く言わなかったようですね。50代になっても美しい宮沢りえさんの、今後の活躍に期待しましょう!