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野村忠宏が引退!柔道ではなく努力の天才?父や妻・子供や友人

野村忠宏さんはオリンピック柔道で3連覇の偉業を成し遂げ、度重なる怪我にも負けず40歳まで現役を続け2015年に引退されました。

現在はワイドショーのコメンテーターやバラエティ番組のゲストとしてけっこうテレビに出て活躍していますよね。

今回は野村忠宏さんの柔道人生や現役引退まで支えたご家族について調べてみました。

もくじ

野村忠宏プロフィール

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名前野村忠宏(のむら ただひろ)
生年月日1974年12月10日(49才)
出身地奈良県北葛城郡広陵町
身長164cm
血液型B型
所属ミキハウス(引退後も様々な活動を支援)
趣味ドライブ、洋服屋・電器屋めぐり

出身は奈良県北葛城郡ですが中学からは天理市の天理中学校から天理高校を経て天理大学体育学部と進んだそうです。

大学卒業後にミキハウスに入社し、今も所属しています。

ミキハウスはアテネ五輪後に金メダルを獲った野村忠宏さんに1億円のボーナスを支給したそうですよ!
今も良い関係を続けているのも分かりますよね。

野村忠宏のオリンピック3連覇

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野村忠宏選手のオリンピック3連覇については外せない情報ですよね。

アトランタオリンピック(1996年)

天理大学体育学部時代の1996年にアトランタ・オリンピック柔道60kg級で金メダルを獲得しました。

試合回戦対戦相手技(試合時間)
2回戦カルカモ(ホンジュラス)大外刈(38秒)
3回戦オジェギン(ロシア)技あり
4回戦メリジャ(アルジェリア)袖釣込腰(4分21秒)
準決勝ナルマンダ(モンゴル)内股すかし(3分6秒)
決勝ジェビナッツォ(イタリア)背負投(34秒)

2008年のブログ上の質問コーナーで最高の決まりてとして準決勝のナルマンダ戦の内股すかしを挙げています。

シドニーオリンピック(2000年)

ミキハウスに入社した翌年です。

このシドニー・オリンピックで2大会連続となる金メダルを獲得しました。

試合回戦対戦相手技(試合時間)
2回戦層運兵(中国)一本背負い(1分18秒)
3回戦グレツコウスキー(アメリカ)肩車(2分15秒)
4回戦マツゼック(スロバキア)大外刈(31秒)
準決勝プロ(キューバ)有効
決勝チョンプギョン(韓国)隅落とし(14秒)

シドニー五輪では、大会前に全部違う技で勝つと宣言したそうです。

それを実行してしまうんですから本当に凄いですよね。

アテネオリンピック(2004年)

史上初のオリンピック3連覇を果たしたアテネ・オリンピックです。

試合回戦対戦相手技(試合時間)
2回戦ララ(ドミニカ共和国)背負投(2分46秒)
3回戦グッセンベルク(ドイツ)背負投(53秒)
4回戦アルバルシン(アルゼンチン)内股すかし(14秒)
準決勝ツァガンバータル(モンゴル)大内刈り(23秒)
決勝ヘルギアニ(グルジア)指導3

3連覇を果たしたこの大会後に所属先のミキハウスは野村選手に1億円のボーナスを支給し話題になりました。

野村忠宏の現役引退までの怪我と戦った過酷な日々

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野村忠宏さんはオリンピックを連覇し飛ぶ鳥を落とす勢いだった2000年頃は、練習量を過度に多くしない独自の調整方法で最大限の結果を残してきました。

ところが3連覇後、2007年5月32歳の頃に右膝前十字靭帯を断裂していまいます。

これは低い体勢から背負投を繰り出す独特のスタイルから来る負担が右膝に積み重なって発生した怪我で、長いリハビリを強いられることになり、2008年に再建手術を受けました。

入院中は個室で割りとのんびり過ごせたそうですよ。

その後、2013年の試合中に背負投を繰り出した際に右肩の靭帯も断裂してしまいます。

これは右肩の腕の付け根と筋肉をつなぐ重要な靭帯で、接合箇所をピンによって留める大手術でした。

度重なる怪我にもめげずに辛いリハビリに耐えながらトレーニングも重ね、復帰するが、あらなた怪我を負ってしまうという繰り返しとなってしまいました。

オリンピックに2大会連続で出られず、世間一般の人は野村選手のことを忘れてしまっていましたが、人知れず並々ならぬ精神で戦ってこられたんですね。

2014年に再起を掛けた大会に出場するために激しいトレーニングをしていましたが、今度は怪我をしていなかった左膝を怪我してしまい手術し、出場出来ずに終わってしまいました。

強い精神力で常に前向きに戦ってきた野村選手でしたが、2015年8月に現役引退を表明しました。

精神は維持していますが、体の衰え・痛みとの差が日に日に大きくなってしまい、どうしようもなくなってしまったと後のインタビューで語っています。

そして8月29日に行われた全日本実業柔道個人選手権大会が最後の出場大会となりました。

怪我を気にしないで全力で戦いたいという目標のために頑張ってきた野村忠宏さん。

大会を前に引退表明した際、
「あがききった。

今、持てる力を出し切る。


と語りました。

この大会の1回戦、2回戦では眼を見張るような豪快な背負投で勝利しましたが、3回戦で前回3位の新鋭選手に逆に背負投で敗れ、競技人生を終えました。

大会の様子はNHKドキュメンタリー「アスリート魂」の中で詳しく触れていましたよ。

ぜひ再放送してほしいですよね。

野村忠宏を支えた家族友人

柔道家・野村忠宏さんを支えたご家族やご友人を紹介します。

父・野村基次さん

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野村忠宏さんの父・基次さんは自宅の道場で柔道を教えています。

小さいころは体も弱く、期待されていなかったらしいですよ。

実際、お父さんもインタビューの中で高校3年生になるまでまったく野村選手の才能や可能性を分かってあげられなかったと言っています。

野村選手もなぜ自分に期待してくれないのか、寂しいという気持ちと、今に見てろよという気持ちを小さい頃から持っていたそうです。

そんな父・基次さんですが、だんだんと力を発揮していく息子を見ながら出来る限りの応援をするようになりました。

野村選手は父の言葉を大切に心に持っていて、どうしたら強くなれるのかと尋ねられるたびにある言葉を伝えるのです。

それは、

お前個人にしかない能力、やり方、正確、すべてを集約して「自分がどうあるべきか」考えろ。

それを見出したら、お前は超一流になれる。

という言葉です。

常に自分がどうあるべきかを考えるということですね。

野村忠宏さんはこの言葉に救われ続けたのだそうですよ。

そして基次さんは野村選手に対して、「40近い年齢になってお前ほど努力してやりきっている人間はいない」と話す通り、柔道の才能がもともとあったのではなく、努力する才能があったのだといっているのです。

妻・酒井葉子さん

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野村忠宏さんがはじめて彼女が出来たのは高校1年生の頃だそうです。

その時は恥ずかしさから一度も二人きりで会うこと無くフェードアウトしてしまったとか。

奥さんの酒井葉子さんはその時以来の彼女だったそうです。

酒井葉子さんは柔道のことはまったく分からないのですが、怪我に苦しむ野村さんをずっと献身的に支え続けたそうです。

当時のブログの中で、「嫁が良い奴だと再認識した」と言っており、最近ウワサされた離婚説は完全にデマだと分かります。

息子・基晴くん

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2006年3月に誕生した基晴くんはおじいちゃんの道場で楽しく練習しています。

野村選手はそんな様子を見ることで、柔道の一番大切な部分を取り戻すことができたんだとか。

やっぱり第一線で戦っている人は普段の練習の中で楽しさを感じることはないようで、子どもたちの笑顔が文字通り薬になるのでしょうね。

友人たち

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野村忠宏さんは広い交友関係を持っていて、違うジャンルのアスリートたちと親交があります。

水泳の北島康介さんや細川大輔さん、騎手の福永祐一さんなどです。

彼らは野村さんを支えたというよりも、慕っていたという方が正しいかもしれませんが、そうした自分の背中を見てくれている人たちの存在に支えられていたと感じているのだと思います。

同じアスリートということで、第一線で活躍できる時期は限られていて、その後の人生のほうが長いということも分かっている人たち同士、不安を共有したりお互いの生き方を見て参考にしたりし合う大切な仲間なんですね。

野村選手の最後の大会にも足を運び、最後の勇姿を見届けています。

柔道は個人競技のように思われる方が多いと思いますが、柔道家たちは畳の外を含めて仲間の大切さを感じながら戦っているんですね。


以上、

  • 野村忠宏プロフィール
  • オリンピック3連覇
  • 現役引退までの過酷な日々
  • 父や妻などの家族

という内容でお送りしました。

野村選手は引退後も忙しく様々な活動をされています。

新しい情報は公式ホームページで見ることができますよ。

ぜひチェックしてみてください。

参考サイトのリンク
野村忠宏公式ホームページ
野村忠宏公式ブログ
指導者や一般の人に柔道の良さを広める活動をしていかれる野村忠宏さんの今後にこれからも注目していきたいと思います。

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